2018年6月18日月曜日

私のワインは何色か?

 先日、旧くて新しい友人の家を訪ねた。

 人の幸不幸を比較は出来ないし、そんなこと云々するのは無意味なのだが。
 彼のところにあってわたしのところには無いもの、あるいはその逆のもの、様々な目に見えない事柄が、沢山心の中に見えた――と言うより走馬燈のように通り過ぎていったように思う。
 通り過ぎながら、私は語りかけられた。自分がいつもお年寄りや闘病中の方に、言っているその言葉に。
 「あなたの人生は、ラベルが貼られていないワインのよう」「赤か白かまだ決まっていない。それを幸せの色にするかどうかは、あなた次第」と言ったけれど、ではそういう私のワインは幸せ色なのか、あるいはその逆か?どちらなのだろう。

  今日まで私は一体、何をしてきたのだろう?
 とうとう息子が消息を断ってから1年が過ぎてしまった。
 自分が何の役にも立たない、それどころか「毒親」だったのかと思う時ほど
辛いものはない。
 たとえどんなに成功し、或いは大金持ちになっても虚しい。
 そんなつもりじゃなかったと言っても許されない、且つ償えない罰を受けている
ようなもの。

 毒親の被害者だと思って自分を哀れんでいる間に、加害者になっていたのか・・・
 これがやはり「連鎖」というものなのだろうか。
 私は近頃、欝の出入り口を行ったり来たりしている。

2018年2月13日火曜日

可愛い訪問客~ジョウビタキ~

三寒四温の季節。
歌の集いの参加者も二日間共予約が順調に埋まり、準備が一段落した。
跡を引いていたインフルエンザの影響も殆ど感じなくなったので、ここ数日毎日庭に出てバラの剪定と(つるバラの)誘引作業に本腰を入れている。と言っても、100本以上あるし、ズボラ栽培だからお釈迦になった株の除去や、息も絶え絶えの成長不振株の植え替えも含めると膨大な手間がかかる。大作業は一つ二つにして、後はとにかく目についたところから思いつくまま、というところだけれど。

木鋏でチョッキンチョッキンしていると、直ぐ傍で小鳥の羽音がしてその後も気配が続く。振り返ると地味な色のふっくらした野鳥が尾を振り振りこちらを見ている。ずいぶん人懐っこそうな子。まるで「何か食べ物を頂戴」と言ってるみたい。思わず「あら、あなたにあげられるものがあるのかしらねぇ~」とつぶやいてしまった。
向き直っても逃げないので、そうだ写真を撮ろう、とポケットの携帯を探った。ところが取り出す前に、持っていた木鋏の方を落っことして音を立ててしまったので、あっと言う間に飛び去ってしまった。失敗、失敗。
それでも、一日作業して何度か家を出入りし、日も傾いてきたしガーデンチェアに座って体を休め、いよいよ今日は引き揚げようかなと言うときに再び戻って来た。本当に目と鼻の先まで来て、ちゃんと目を合わせ、私がかける声を聞いていくように見える。
こういうことが、ここ4日間続いている。

週末、夫が作業に加わった日は、流石に怖かったのかいつもの時間(4時半前後)に表れなかった。もういかにも暗くなり、街灯に灯もついたし、今日はもう諦めようと思っていると、どこかでカタカタ、カタカタ、と不自然な音がする。
「?」と目を凝らすと、いたいた!バラの2.3M高のフェンスのてっぺんに停まってこちらを見ているあのふっくらしたシルエット―あの子に違いない。
「今日は遅かったのね」「こんなに暗くなったのに大丈夫?」「早くおうちにお帰りなさい」と、話しかけると、自分の存在をアピールするかのようにずっとカタカタという音を出しながら周囲を飛んだ後、どこかへ消えていった。夫が「本当だったんだね」とびっくりしていた。

始めはウグイスの子供だろうかと思ったけれど、ネットで調べたらジョウビタキのメスだと判明した。性格的にかなり人に接近してくる鳥のようだ。餌付けしてみたいところだが、ウグイスと同じで生き餌しか食べないようなので、穀物や果物を置いても見向きもしない。メジロやヒヨドリに全部さらわれるだけである。その代わり?植え替えをしたバラの鉢とか、下草を取り除いた地面に興味があるらしく、夕方になるとその日作業した後をまるで点検するかのように念入りに探っていく。きっとそういうところは小さな虫を発見しやすいと知っているのだろう。
ネットによると、鳴き声はヒーヒーヒー・・・と一定間隔でとても軽い、ガラスをひっかくような頼りない高い声である。オスのさえずり声はもう少し変化があるそうだが。だから、あのカタカタいう声は、一体何だったのだろう、スズメの警戒音にも似た音。夕闇の中で私に向かって、明らかに自分の存在主張と聞えた。


海外で行方不明になっている息子が、帰りたがっているような気がしてしまう。何をしていても常に私の頭から離れることのない思いが、こんな小鳥を呼び寄せたのだろうか。
画像はネットからお借りしました。