先日、旧くて新しい友人の家を訪ねた。
人の幸不幸を比較は出来ないし、そんなこと云々するのは無意味なのだが。
彼のところにあってわたしのところには無いもの、あるいはその逆のもの、様々な目に見えない事柄が、沢山心の中に見えた――と言うより走馬燈のように通り過ぎていったように思う。
通り過ぎながら、私は語りかけられた。自分がいつもお年寄りや闘病中の方に、言っているその言葉に。
「あなたの人生は、ラベルが貼られていないワインのよう」「赤か白かまだ決まっていない。それを幸せの色にするかどうかは、あなた次第」と言ったけれど、ではそういう私のワインは幸せ色なのか、あるいはその逆か?どちらなのだろう。
今日まで私は一体、何をしてきたのだろう?
とうとう息子が消息を断ってから1年が過ぎてしまった。
自分が何の役にも立たない、それどころか「毒親」だったのかと思う時ほど
辛いものはない。
たとえどんなに成功し、或いは大金持ちになっても虚しい。
そんなつもりじゃなかったと言っても許されない、且つ償えない罰を受けている
ようなもの。
毒親の被害者だと思って自分を哀れんでいる間に、加害者になっていたのか・・・
これがやはり「連鎖」というものなのだろうか。
私は近頃、欝の出入り口を行ったり来たりしている。