2015年11月20日金曜日

Over the rainbow

 今年も母の老人ホームのクリスマス会に招かれている。

 恒例のクリスマスソングに毎年少しずつ変化を付けて数曲のプログラムを組むのだが、今年はミュージカル「オズの魔法使い」であまりにもポピュラーになったあの曲を入れることにした。
 種明かしをすると、IL DIVO のクリスマスCDに入っていたからなんだけど。

 ジングルベル
 聖夜
 諸人こぞりて
 モミの木

   ふるさと(二部)
   虹の彼方に

 日本語の歌詞は勝手に着けなおすことにした。  こんな感じ。

    「虹のかなたに」

   はるか 虹の彼方に
   揺りかごで聞いた 世界がある

   空は どこまでも青く
   夢を叶えて 鳥は歌う

   ある日星に願い 目覚めれば
   そこはパラダイス
   悩みは甘く溶け 煙と消える
   それこそ願い

   はるか 虹の彼方に
   揺りかごで聞いた 世界がある

   (間奏)

   いつか私も はばたこう
   しあわせを運ぶ 青い鳥とともに


 さて、以上を下書き状態で1日経った。
 ようやくC-durへの移調譜とデュエット用の副旋律の作成が出来て、いよいよ他のボランティアさんたちにFAX出来ることになった。
 やれやれ、ほっとした。今のところ伴奏者は一人しかいないので、下手ながら自分でも練習しておかなくちゃ。
 開催を始めて5年以上たつホームでの懐メロボランティア、今年も楽しいクリスマス会がともに過ごせたら幸せ。  

2015年11月11日水曜日

Dank sei dir,Herr ! 《主よ、汝に感謝す》



 すっかり冬の空気、庭に出ているとお日様がありがたく感じられる。

   昨日今日、楽譜書きに追われていた。
 いつものことながら、連れ合いが思い付きで「この曲はお前の声に合ってる」から楽譜を探せと。
 その曲とは、かのヘンデル作の Dank sei dir,Herr ! 《主よ、汝に感謝す》
まあ、正確に言うと、これってヘンデル作と言うのは嘘で、実はジークフリード・オクスという全く無名の人の作品らしい。
 確かにいい曲で、たまたまブログに書いている人がいたので、ジェシー・ノーマンのいい演奏のリンクも得ることができた。

 ところが・・・オペラのアリアでもなし、小品のことで楽譜が無い。ネットで海外から取り寄せるしか。
 それで、たまたま楽譜を画像にとって載せているところから手書きで写し取って、楽譜ソフトに入力して使うことにした。これがまた根気の要る作業。
 まあ、好きだからできるんだけど。
 おまけに、Win.10にしたせいか、再生機能が働かない。これが無いと入力ミスのチェックが耳からはできないのが痛い。

  昨日今日始まった話ではないけど手のかかるお人だ。
 ついでに「俺の葬式でこれ歌ってくれよ」とか言う。え?ついこの間はフォーレの Pie Jesu じゃなかった?
 一体、何曲やらせる気かなぁ。
 こう自分の葬式にまで注文付けるんなら、死んでからじゃ意味ないから生前葬にしちゃおうかな?
 なんて言ったら大喜びして隣のいとこに電話かけてる。

 「まだちょっと早いんじゃない?」って言われたって、(笑)そりゃそうだよね。
 う~ん、疲れた!
 庭にでも出てそれこそお日様に当たってこようかな?  山茶花が咲きだしていることだし。


 
 

2015年10月13日火曜日

コロの小屋を冬仕様にした

 朝晩、すっかり涼しくなった、というより夕食後、庭でワインでも飲もうと思って出ても、キルティングを着ていないと寒いと感じる。
 それで、今日は天気もいいし、外飼いのワンコの小屋を冬仕様にしてやった。

 コロは柴犬でもちょっと小ぶりな方で10K程度しか無いのだが、夏場は北海道犬用の大きめの小屋をあてがわれている。冬になると、その中にもう一回り小さい小屋を入れ子にして、隙間には発泡スチロールの断熱材をいれて暖かくしてやることにしている。
 けれど今年はこの小さい小屋の屋根の傷みがかなり進んでいたので、思い切って屋根を一旦バラシて腐った部材を新しいものと入れ替え、木ねじ類も全面的に新しく改築してやった。

 面白かったのはコロである。大きい小屋の屋根を取り外して中を掃除してやった段階で、もう私が何をしようとしているか悟ったらしい。
「もうできた?」「まーだかな?」てな感じで、小屋から出たり入ったり。
 時にはノコギリの木屑を背中に浴びてしまったり…これには笑ってしまった。「もうちょっと、向こうで待っててね」と言うほかはない。

おまけに他に用事ができて中断する度に心配そうに私を追いかけ、家の中に入ろうものならいつまでも玄関扉を見つめて待っている。再び出ていくといかにも嬉しそうに全身で喜びを表す。
「ああ、良かった!」「早く早くぅ~」と言っているようだ。可愛いけど、参った!


 結局、何時間かかっただろうか、完成した二重仕立ての小屋に入ってコロはご満悦。
 ほんと、寒がりなんだよね~キミは…

それにしてもこの作業、かなりの大仕事だったけど、材料の木材や釘・ネジ類も道具も、何一つ追加調達することなしに出来上がっちゃうってすごいな。などと自画自賛。
 けれども、とてもとても疲れたので、昼間からお風呂に入ってゆっくり汗を流した。
 今夜はコロも自分の体温で温まりながら、ぐっすり眠れることだろう。

2015年9月29日火曜日

その一言で、合唱団を退団した。

 ある日、練習中に指揮者K氏が言った。
 「国会議事堂前のデモ、12万人なんて絶対いませんからね。警察とかが言ってるように2万とか3万とかが正しいでしょう。主催者発表なんてそんなものですよ」
おーっと・・・

 何を思ってそんな発言が出たか、きっかけも覚えていないのだが、心底愕然とした。
 なぜなら、私と数人の仲間たちはできるものならあのデモに参加したいと思っていたし、政権のやりたい放題に反対署名をしていたし私はSNSを通して主催者らとの実況的な報告も画像付きで受け取ってもいた。
12万5千という発表には根拠がある。配ったビラの数が10万だったのだが、全て無くなり、しかもビラをもらえない人が数え切れないほど続出していたからだ。
そして面積として計算して議事堂周囲は3万5千人としても、人の波は夜遅くまで周辺の電車の駅から延々と続き、次々に移動した。人によっては大江健三郎さんが呼びかけたように30万人を越えていたという人もいる。12万人は控えめに見積もっても「確実な数」だったという。私はそれを信じている。

 そして、「数字」を否定されたことで、K氏のこのデモの「趣旨」への認識の低さに失望した。
 安全保障法案という名の戦争法案が、立憲主義も民主主義も全く無視した強行採決されようとしている、日本が将に嘘と詭弁とごまかしだらけの安倍政権によって存立事態を迎えている、WWⅡの悪夢を再現する状況に導いているということ。その岐路にあって老若男女が立ち上がり、権力の暴走に対抗しているデモなのだということを、分かっていない、冷ややかな目で見ていることが奇しくもこの一言で歴然となってしまったから。
将に「10年の恋も覚める」思いの衝撃だった。


 昨年、ヘンデルのメサイア全曲公演を果たした後、協賛参加から正式に入団参加するかどうか、迷った。その時、次の曲として渡されたのは、ユージーヌ・ギュヴィックの詩によるY先生(専属の伴奏者・作曲・編曲も)のオリジナル曲、「ずっとのちの人々に」だった。こんな歌詞だ。

ずっと ずっと後に 違った労働を知るだろう君たち
  働くことが やがて祭りのようものとなり
  詩人が 詩を作るようなものとなり
  銘々に情熱と 勝利と 芸術とがあるだろう時

  少しばかり 俺たちのことを 思い見てくれ
  全く牛や馬のようにヘトヘトになるまで 働き続けたので
  俺たちの目は 悲しみの色を帯びたのだ

  ああわかるだろう 俺たちも君たちと同様 人生を愛した
  そんな暮らしでも 希望を投げ捨てたり
  涙落とそうなどとはしなかった
  そう 楽しむことが好きだった 
  君たちと同様 小さな楽しみや大きな楽しみが
  一番大きな楽しみは 君たちに道を開くことだった

 社会派、と言うか、自由や人間性、権利のために権力に抵抗する歌である。
 普通のママさんコーラスとはちょっと違う選曲。そして伴奏者として受賞歴もあり作・編曲者本人のピアノで練習から歌える・・・その贅沢が気に入っていた。そういう歌を取り上げるK氏を尊敬もしていた。

 例のデモでは、高校生が参加して、レ・ミゼラブルの「民衆の歌」を合唱していたが、同じ歌が次の演奏会のプログラムにあり、練習していたことも誇りを持って受け止めていた。
 にもかかわらず、そんなものは単なる見せかけ、あくまでどう聴かせるか、「表現」に過ぎない、この指揮者は、実は社会の矛盾を問題にする曲を取り上げていながら現実社会についてはよく知らない「音楽バカ」にすぎないのだという事実を突きつけられてしまったのだ。買いかぶり過ぎだった。
今後、この指揮者の下でどんなに練習して美しいハーモニーや声量や表現テクニックでこれを仕上げたとしても、あの日、あの場で声を一つにした高校生たちの「民衆の歌」を到底超えることはできない。心を声に表現するのと、声で心あるかに表現するのとでは全く違う。前者は現実であり、後者は見せかけだ。
「12万人なんていなかった」という一言を聞いた瞬間、私はこの虚飾についていく意思を失った。
急激に下がったモチベーションをもうもとには戻せないと思う。そういえばK氏が時々、外見(肥満とか薄毛とか低身長)を揶揄して笑いを取る発言があってイジメに見えるのもイヤだ。

 ここまで自分の気持ちを吟味したら、急に月1回納入する団費が惜しくなった。これはもうだめだ。
 表向きは母が入院したことにしてあっさり退団した。是は是を通す、これも私なのだ。

2015年9月17日木曜日

今日は最低な日

参議院の安全保障法案の委員会で、本来は廃案にされるべき違憲法案が可決されてしまった。
勿論、というのも忌々しいが強行採決である。
いや、強行採決とさえ言い難いようなドサクサ劇で採決したことにされてしまった。

しかし、SEALDs始め、法案に反対する人々の動きは実に見事だったと思う。
本来安倍は昨日のうちに決めたかった筈だが、ここまで持ってきたのだから。
これからの戦い方を、冷静に、専門家たちの知恵を借りながら進めていきたい。


彼岸花が咲き始めた。いつもは赤い花が咲くのに、今年はクリーム色だった。

2015年9月10日木曜日

風邪ひいたみたいだ

 昨日の朝から喉が痛い。急に涼しくなったせいかしら?
 おまけに、前線の影響で断続的な豪雨が続き、昨夜あまりよく眠れなかった。

この雨では、NANAを自転車でアルバイトに行かせるのは危険。車で送って行く。

栃木・茨城では鬼怒川が決壊して大変らしい。
夫がテレビで救助の実況してると知らせて来た。
しかし、私も調子が悪いのでテレビを見に行く気がしない。まったく、やじうま根性なんだから・・・
 そんな元気あったら、食料を買い出しに行くよ、って思う。
 
あ~、もうやだな。
 生きてるのが面倒くさい。
安倍をぶっ殺して死んでやれたらいいのに。なんて思うよ。世のため人のためになる。
 でも、悪い奴って首の挿げ替えだけで復活しそう。それも悔しい。

 いや・・・
絶対このままでは終わらない。そう、思いたい。

2015年9月8日火曜日

この日本に、未来はあるのだろうか。

  安倍晋三に何期も総理の座に座らせておくこの国。
私は絶望の一歩手前にいる。

 福島の原発事故は、人工的に人間が作り出したリスクを自然災害が拡大してとうとう取り返しのつかないものにしてしまった。

 私たちはその無謀さ、間違った幻想を抱き続けていたことに気づかされていながら、叡智をかなぐり捨てたままの為政者のなすが儘になり、とっくに致命的なダメージを受けているのにほんの少しの手当をもせずにさらにその傷口を開こうとしている。

 ただ手をこまねいているしか無いのか、私・・・・・。
 何と無力であることよ。
 

2015年8月19日水曜日

お久しぶり・・・『空家』に帰ってみました。

かなり長いこと、このブログは放置状態。

私って浮気性なのかな?
いや、ブログ以前に作っていたso-netのホームページを、改築を重ねて大事にしていこうと思っていたのに、何故かビルダーがうまく機能しなくなってしまって。

何度か更新しようと試みたのだが、だんだん情熱?も薄れ、今や諦めの境地。
自分史もまとめて、製本するつもりだったのに・・・更新がうまくいかないってどういうこと?!(`・ω・´)

まあ、他人のせいにしてもしょうがない。私の理解力がないんだろう。
もう一度マニュアルを丁寧に紐解いて挑戦すれば、出来ないわけはないのだろうけど、なにせ、こちらも根気が無くなり申した。

てわけで、このブログも含め、気の向いた時に書き足していくことにします。
では、次に書くときまで、自分にさよならO(∩_∩)O~~


写真は、ソラナム(別名ヤマホロシ or ツルハナナス)私の大好きな薄紫色。
満開をちょっと過ぎましたが、次々に伸びたツルの先に花をつけています。