ある日、練習中に指揮者K氏が言った。
「国会議事堂前のデモ、12万人なんて絶対いませんからね。警察とかが言ってるように2万とか3万とかが正しいでしょう。主催者発表なんてそんなものですよ」
おーっと・・・
何を思ってそんな発言が出たか、きっかけも覚えていないのだが、心底愕然とした。
なぜなら、私と数人の仲間たちはできるものならあのデモに参加したいと思っていたし、政権のやりたい放題に反対署名をしていたし私はSNSを通して主催者らとの実況的な報告も画像付きで受け取ってもいた。
12万5千という発表には根拠がある。配ったビラの数が10万だったのだが、全て無くなり、しかもビラをもらえない人が数え切れないほど続出していたからだ。
そして面積として計算して議事堂周囲は3万5千人としても、人の波は夜遅くまで周辺の電車の駅から延々と続き、次々に移動した。人によっては大江健三郎さんが呼びかけたように30万人を越えていたという人もいる。12万人は控えめに見積もっても「確実な数」だったという。私はそれを信じている。
そして、「数字」を否定されたことで、K氏のこのデモの「趣旨」への認識の低さに失望した。
安全保障法案という名の戦争法案が、立憲主義も民主主義も全く無視した強行採決されようとしている、日本が将に嘘と詭弁とごまかしだらけの安倍政権によって存立事態を迎えている、WWⅡの悪夢を再現する状況に導いているということ。その岐路にあって老若男女が立ち上がり、権力の暴走に対抗しているデモなのだということを、分かっていない、冷ややかな目で見ていることが奇しくもこの一言で歴然となってしまったから。
将に「10年の恋も覚める」思いの衝撃だった。
昨年、ヘンデルのメサイア全曲公演を果たした後、協賛参加から正式に入団参加するかどうか、迷った。その時、次の曲として渡されたのは、ユージーヌ・ギュヴィックの詩によるY先生(専属の伴奏者・作曲・編曲も)のオリジナル曲、「ずっとのちの人々に」だった。こんな歌詞だ。
ずっと ずっと後に 違った労働を知るだろう君たち
働くことが やがて祭りのようものとなり
詩人が 詩を作るようなものとなり
銘々に情熱と 勝利と 芸術とがあるだろう時
少しばかり 俺たちのことを 思い見てくれ
全く牛や馬のようにヘトヘトになるまで 働き続けたので
俺たちの目は 悲しみの色を帯びたのだ
ああわかるだろう 俺たちも君たちと同様 人生を愛した
そんな暮らしでも 希望を投げ捨てたり
涙落とそうなどとはしなかった
そう 楽しむことが好きだった
君たちと同様 小さな楽しみや大きな楽しみが
一番大きな楽しみは 君たちに道を開くことだった
社会派、と言うか、自由や人間性、権利のために権力に抵抗する歌である。
普通のママさんコーラスとはちょっと違う選曲。そして伴奏者として受賞歴もあり作・編曲者本人のピアノで練習から歌える・・・その贅沢が気に入っていた。そういう歌を取り上げるK氏を尊敬もしていた。
例のデモでは、高校生が参加して、レ・ミゼラブルの「民衆の歌」を合唱していたが、同じ歌が次の演奏会のプログラムにあり、練習していたことも誇りを持って受け止めていた。
にもかかわらず、そんなものは単なる見せかけ、あくまでどう聴かせるか、「表現」に過ぎない、この指揮者は、実は社会の矛盾を問題にする曲を取り上げていながら現実社会についてはよく知らない「音楽バカ」にすぎないのだという事実を突きつけられてしまったのだ。買いかぶり過ぎだった。
今後、この指揮者の下でどんなに練習して美しいハーモニーや声量や表現テクニックでこれを仕上げたとしても、あの日、あの場で声を一つにした高校生たちの「民衆の歌」を到底超えることはできない。心を声に表現するのと、声で心あるかに表現するのとでは全く違う。前者は現実であり、後者は見せかけだ。
「12万人なんていなかった」という一言を聞いた瞬間、私はこの虚飾についていく意思を失った。
急激に下がったモチベーションをもうもとには戻せないと思う。そういえばK氏が時々、外見(肥満とか薄毛とか低身長)を揶揄して笑いを取る発言があってイジメに見えるのもイヤだ。
ここまで自分の気持ちを吟味したら、急に月1回納入する団費が惜しくなった。これはもうだめだ。
表向きは母が入院したことにしてあっさり退団した。是は是を通す、これも私なのだ。