2017年1月20日金曜日

「一粒の麦」でありたい

ボランティアで行う活動において「質」を保つための努力は不必要なのだろうか?



 これまで、母がお世話になった老人ホームで実践をベースにして、高齢者と歌を歌って楽しむ集いのあり方を自分なりにまとめ上げ、かなり明確な方向性が見えてきたと思っている。
 先日、新たな場所でのお誘いを受けたことが契機となり、そこでも出来るだけ速やかに安定した形で集いを提供できるような方向付けをしたいと考え、たとえ月に1回といえども、バックステージでの準備や当日の役割分担が必要であることをお話し、近隣で参加可能な複数のボランティアによる「チーム」の構築(募集をかける)を提案したのだが、結果的に施設の責任者が「うちではそこまで求めていない」「複数のボランティアとなると受け入れに協力する余裕が無い」との返事で、結論を言うとそれ以上は駒を進められなかった。

 私が第1に強調したのは、そもボランティアとは、誰かが誰かに何かを一方的に提供するものではなく、互いに与え合う双方向の活動であるということである。
 それは、このボランティアに参加するうちに、引きこもりを脱して初めてピアノが弾けることに幸せを見いだし、自信を付けて極度の吃音さえ克服、「卒業=就職」していったMさんが生きた証人である。
 第2に、この活動を成り立たせるために必要なのは、ピアノ・キーボードの技術だけではなく、音楽を通して高齢者と「人と人」として関係を築けるかどうか、そんな信頼関係に基づいて、集団を合目的的にマネジメントする力であること。

 私の思いとのギャップは、施設側が言う「ちょっと弾いて下されば済むことでしょ?」という言葉に凝縮されている。
 勿論、声や楽器による音楽演奏にある程度堪能であることや、歌を愛し広く知識を持っていることは必要条件には違いない。けれど技術や知識が十分条件ではないのだという話が、結局は理解して頂けなかった。単に“入居者の要望にお応えしていますよ”という施設運営側のアリバイ作りに利用されるだけだと言うことだろう。
 「そこまでは求めていない」・・・私の言っていることはそんなに高い要求だろうか?人として持つべき当たり前の敬意があったら、当然のことであると私は思う。

 たとえ音楽療法士など有資格者による治療目的の働きかけでは無くても、音楽をツールとして人間が人間を対象にすることに変わりは無い。内容論としても方法論としても、「質」を保つ努力を忘れてはいけないと思う。“カラオケで流行歌を歌うより、生で唱歌が歌いたい”と自ら希望した方たちであるならなおさらであろう。この集いを希望してこられた方たちには引き継ぐことが叶わなくなって申し訳ないと心が痛む。

 しかし、残念だけれどこれが現実である。
 私がもう少し自由自在にピアノが弾けていれば、ということと、加齢による限界がすぐそこに来ていることと・・・。協力者無しに新しい場所で展開していくパワーが私には足りない。
 ただし、物事は考えようである。「一粒の麦、もし死なずばただ一粒にて留まる。死ねば多くの実を結ぶ」という喩えが聖書にある。
 私がもし、若くて前途洋々、一人で何もかも出来る人間だったら、チームも協力体制の工夫も生まれなかったかもしれない。
 そう考えて、超高齢化社会の中で支え合って生きていく知恵のひとかけらかも知れないけれど、私は少しでも多くの実を結ぶ、麦の一粒でありたいと思うのである。

 

2017年1月5日木曜日

娘呼ぶ「ばあちゃんの洗脳日記」だが


                 (バラ:ガブリエル)


去年亡くなった母の、アルバム類と日記など入った段ボール箱が、不要品の山の中に紛れ込んでいるのを発見。慌てて軒下に移したものの、かなり傷んでシミだらけ。
 もう捨てるっきゃないな、と思いつつ、その日記を開いてみると・・・

 それは数年前、認知症の母が当時の自分の状況(見知らぬ土地で娘世帯と同居生活)を理解出来るようにと、母の立場で私が綴り、いつも母の身近に置いてあった、いわば母の最後の日記だった。
 3年連用で、その前年までは何とか浜松の自宅にいたので自力で書いていたようだが、こちらに同居してからは、記憶障害で全く書くのは無理になり、その一方5分前のことも憶えていられない不安の中にある母にとって、自分を確認する手がかりとして日記は大事なものだった。

 都合のいいことに、母と私は筆跡がよく似ていた。たとえば人の名前の脇に必ず「夫」とか「兄」とか、「ありがとうさま」「しんぱいだ・・・。」など、ところどころに母が書き込みをしているのだが、私でなければ多分見分けられないだろう。母も全く気づいていなかった。

 娘はこれを「おばあちゃんの洗脳日記だね」と言う。
 それがどういう意味かというと、たとえば以下はある日の例。

 ○月10日:今日は華子が車のナビ(道案内装置)を直しに行くというので留守番した。2時間半くらいかかって帰ってきて、疲れているところへ、私が、「壁にあんたが貼った張り紙の内容が、あまりに分かりきったことが書いてあって、私がいかにもバカだといわんばかりだ」と文句を言ったため、怒り出した。「そのわかりきったことを一日中何回も聞かれる身になったら?」と言われた。

 ○月11日:昨日華子に言われたことを考えてみる。そんなに迷惑を掛けているなら死んだ方がいいと思うが、誠ちゃま(父のこと)が「歩けるようになって帰るから待っててくれよ」と言う以上、生きていてあげなければと思う。でも、午後、老健にいって顔を合わせた時にはすっかり忘れてしまっていた。華子は誠ちゃまに新しいトレーニングウェアと下着を持って行ってくれていた。ありがとうさまでした。
 
 そしてこの最後の「ありがとうさまでした」だけは、母の字である。あとから読み返して、感謝する気持ちになったということだろう。まあそのあたりが狙い所である。

 壁に貼った「わかりきったこと」とは、たとえば父母の年齢・現在の住所・娘宅に同居中・表札の写真(娘は嫁に行ったわけではなく今も皐月姓←これはかなり大事な情報)・孫も含めた家族の写真・父の状態・・・などであり、もう自動応答マシンを使いたいくらい四六時中尋ねられる情報である。
 留守番して暇だったので何度も張り紙を見ていて「わかりきったこと」と思い、馬鹿にされているという被害妄想に至ったのだろう。しかし実際は、「分かった。今聞いて分かったからもう聞かないよ」と必ず言う。そして数分後には同じことを聞いてくる。その繰り返しなのだ。

 記憶力に自信のあった母のプライドが垣間見える事実の言動をもとに、すぐに「死んでやる」と言葉で脅迫する母の常套句を踏まえて、自然に「回復してくる夫を待っていてやろう」という気持ちにさせるよう導く操作をして、最後は「ありがとうさま」に至るよう誘導しているわけだから、「洗脳」には違いない。この日記は、私の謀略日記でもあると気づき、新たな興味も湧いて改めて読み返している次第だ。

 期間は1月1日~9月半ば、父が亡くなるまで。正確に言うと8月初旬から父母は私達の家から老人ホーム暮らしになったので毎日は書き込めなくなったのだが、ホーム入居後間もなく父が発熱して入院し、病状が悪化して天国に旅立つまで、一人で老人ホームに残されている母に父の状況を知らせる必要があり、葬儀までを書き込み続けたのである。

 そこには、忘れていた多くのことが書かれていた―― 一言で言えばホントに大変だった。

 ○母だけでなく、父も結構わがままを言ったということ。わがままというより、父の呆けも急速に進んでいたのに、私達の認識とのギャップがあったこと。
 ○ごくたまに言った父の要望に「何故?」ともっと問いかけるべきだったということ。表面的な非現実性だけにとらわれて、その発言の底にある気持ちを聞き取ってやる努力が足りなかったと思う。
 ○母がデイ・サービスに行って何をしてどんなことを言ったかの記録が詳しいのに驚く。それだけ担当者が細かい記録を届けて下さっていたのであろう。申し訳ないことにもう忘れてしまっているが。小規模多機能施設の有難さに改めて感謝した。

 まだまだ大切にするべき想い出・事実がたくさん出て来そうだ。私自身の親の介護はもう二度と無いけれど。捨てる前に、ファイルに取っておこうと思う。