(バラ:ガブリエル)
去年亡くなった母の、アルバム類と日記など入った段ボール箱が、不要品の山の中に紛れ込んでいるのを発見。慌てて軒下に移したものの、かなり傷んでシミだらけ。
もう捨てるっきゃないな、と思いつつ、その日記を開いてみると・・・
それは数年前、認知症の母が当時の自分の状況(見知らぬ土地で娘世帯と同居生活)を理解出来るようにと、母の立場で私が綴り、いつも母の身近に置いてあった、いわば母の最後の日記だった。
3年連用で、その前年までは何とか浜松の自宅にいたので自力で書いていたようだが、こちらに同居してからは、記憶障害で全く書くのは無理になり、その一方5分前のことも憶えていられない不安の中にある母にとって、自分を確認する手がかりとして日記は大事なものだった。
都合のいいことに、母と私は筆跡がよく似ていた。たとえば人の名前の脇に必ず「夫」とか「兄」とか、「ありがとうさま」「しんぱいだ・・・。」など、ところどころに母が書き込みをしているのだが、私でなければ多分見分けられないだろう。母も全く気づいていなかった。
娘はこれを「おばあちゃんの洗脳日記だね」と言う。
それがどういう意味かというと、たとえば以下はある日の例。
○月10日:今日は華子が車のナビ(道案内装置)を直しに行くというので留守番した。2時間半くらいかかって帰ってきて、疲れているところへ、私が、「壁にあんたが貼った張り紙の内容が、あまりに分かりきったことが書いてあって、私がいかにもバカだといわんばかりだ」と文句を言ったため、怒り出した。「そのわかりきったことを一日中何回も聞かれる身になったら?」と言われた。
○月11日:昨日華子に言われたことを考えてみる。そんなに迷惑を掛けているなら死んだ方がいいと思うが、誠ちゃま(父のこと)が「歩けるようになって帰るから待っててくれよ」と言う以上、生きていてあげなければと思う。でも、午後、老健にいって顔を合わせた時にはすっかり忘れてしまっていた。華子は誠ちゃまに新しいトレーニングウェアと下着を持って行ってくれていた。ありがとうさまでした。
そしてこの最後の「ありがとうさまでした」だけは、母の字である。あとから読み返して、感謝する気持ちになったということだろう。まあそのあたりが狙い所である。
壁に貼った「わかりきったこと」とは、たとえば父母の年齢・現在の住所・娘宅に同居中・表札の写真(娘は嫁に行ったわけではなく今も皐月姓←これはかなり大事な情報)・孫も含めた家族の写真・父の状態・・・などであり、もう自動応答マシンを使いたいくらい四六時中尋ねられる情報である。
留守番して暇だったので何度も張り紙を見ていて「わかりきったこと」と思い、馬鹿にされているという被害妄想に至ったのだろう。しかし実際は、「分かった。今聞いて分かったからもう聞かないよ」と必ず言う。そして数分後には同じことを聞いてくる。その繰り返しなのだ。
記憶力に自信のあった母のプライドが垣間見える事実の言動をもとに、すぐに「死んでやる」と言葉で脅迫する母の常套句を踏まえて、自然に「回復してくる夫を待っていてやろう」という気持ちにさせるよう導く操作をして、最後は「ありがとうさま」に至るよう誘導しているわけだから、「洗脳」には違いない。この日記は、私の謀略日記でもあると気づき、新たな興味も湧いて改めて読み返している次第だ。
期間は1月1日~9月半ば、父が亡くなるまで。正確に言うと8月初旬から父母は私達の家から老人ホーム暮らしになったので毎日は書き込めなくなったのだが、ホーム入居後間もなく父が発熱して入院し、病状が悪化して天国に旅立つまで、一人で老人ホームに残されている母に父の状況を知らせる必要があり、葬儀までを書き込み続けたのである。
そこには、忘れていた多くのことが書かれていた―― 一言で言えばホントに大変だった。
○母だけでなく、父も結構わがままを言ったということ。わがままというより、父の呆けも急速に進んでいたのに、私達の認識とのギャップがあったこと。
○ごくたまに言った父の要望に「何故?」ともっと問いかけるべきだったということ。表面的な非現実性だけにとらわれて、その発言の底にある気持ちを聞き取ってやる努力が足りなかったと思う。
○母がデイ・サービスに行って何をしてどんなことを言ったかの記録が詳しいのに驚く。それだけ担当者が細かい記録を届けて下さっていたのであろう。申し訳ないことにもう忘れてしまっているが。小規模多機能施設の有難さに改めて感謝した。
まだまだ大切にするべき想い出・事実がたくさん出て来そうだ。私自身の親の介護はもう二度と無いけれど。捨てる前に、ファイルに取っておこうと思う。
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