先日、旧くて新しい友人の家を訪ねた。
人の幸不幸を比較は出来ないし、そんなこと云々するのは無意味なのだが。
彼のところにあってわたしのところには無いもの、あるいはその逆のもの、様々な目に見えない事柄が、沢山心の中に見えた――と言うより走馬燈のように通り過ぎていったように思う。
通り過ぎながら、私は語りかけられた。自分がいつもお年寄りや闘病中の方に、言っているその言葉に。
「あなたの人生は、ラベルが貼られていないワインのよう」「赤か白かまだ決まっていない。それを幸せの色にするかどうかは、あなた次第」と言ったけれど、ではそういう私のワインは幸せ色なのか、あるいはその逆か?どちらなのだろう。
今日まで私は一体、何をしてきたのだろう?
とうとう息子が消息を断ってから1年が過ぎてしまった。
自分が何の役にも立たない、それどころか「毒親」だったのかと思う時ほど
辛いものはない。
たとえどんなに成功し、或いは大金持ちになっても虚しい。
そんなつもりじゃなかったと言っても許されない、且つ償えない罰を受けている
ようなもの。
毒親の被害者だと思って自分を哀れんでいる間に、加害者になっていたのか・・・
これがやはり「連鎖」というものなのだろうか。
私は近頃、欝の出入り口を行ったり来たりしている。
幸せは歩いてこない♪
あなた任せに生きてるようで、私って結構注文の多い人間です。 ガーデニング、歌、デジカメ写真とその編集、SNS、手仕事・・・ 好きな物を全て身の回りに置きながら、世の物事を愛でたり貶したり、思いつくままをブログに書いています。
2018年6月18日月曜日
2018年2月13日火曜日
可愛い訪問客~ジョウビタキ~
三寒四温の季節。
歌の集いの参加者も二日間共予約が順調に埋まり、準備が一段落した。
跡を引いていたインフルエンザの影響も殆ど感じなくなったので、ここ数日毎日庭に出てバラの剪定と(つるバラの)誘引作業に本腰を入れている。と言っても、100本以上あるし、ズボラ栽培だからお釈迦になった株の除去や、息も絶え絶えの成長不振株の植え替えも含めると膨大な手間がかかる。大作業は一つ二つにして、後はとにかく目についたところから思いつくまま、というところだけれど。
木鋏でチョッキンチョッキンしていると、直ぐ傍で小鳥の羽音がしてその後も気配が続く。振り返ると地味な色のふっくらした野鳥が尾を振り振りこちらを見ている。ずいぶん人懐っこそうな子。まるで「何か食べ物を頂戴」と言ってるみたい。思わず「あら、あなたにあげられるものがあるのかしらねぇ~」とつぶやいてしまった。
向き直っても逃げないので、そうだ写真を撮ろう、とポケットの携帯を探った。ところが取り出す前に、持っていた木鋏の方を落っことして音を立ててしまったので、あっと言う間に飛び去ってしまった。失敗、失敗。
それでも、一日作業して何度か家を出入りし、日も傾いてきたしガーデンチェアに座って体を休め、いよいよ今日は引き揚げようかなと言うときに再び戻って来た。本当に目と鼻の先まで来て、ちゃんと目を合わせ、私がかける声を聞いていくように見える。
こういうことが、ここ4日間続いている。
週末、夫が作業に加わった日は、流石に怖かったのかいつもの時間(4時半前後)に表れなかった。もういかにも暗くなり、街灯に灯もついたし、今日はもう諦めようと思っていると、どこかでカタカタ、カタカタ、と不自然な音がする。
「?」と目を凝らすと、いたいた!バラの2.3M高のフェンスのてっぺんに停まってこちらを見ているあのふっくらしたシルエット―あの子に違いない。
「今日は遅かったのね」「こんなに暗くなったのに大丈夫?」「早くおうちにお帰りなさい」と、話しかけると、自分の存在をアピールするかのようにずっとカタカタという音を出しながら周囲を飛んだ後、どこかへ消えていった。夫が「本当だったんだね」とびっくりしていた。
始めはウグイスの子供だろうかと思ったけれど、ネットで調べたらジョウビタキのメスだと判明した。性格的にかなり人に接近してくる鳥のようだ。餌付けしてみたいところだが、ウグイスと同じで生き餌しか食べないようなので、穀物や果物を置いても見向きもしない。メジロやヒヨドリに全部さらわれるだけである。その代わり?植え替えをしたバラの鉢とか、下草を取り除いた地面に興味があるらしく、夕方になるとその日作業した後をまるで点検するかのように念入りに探っていく。きっとそういうところは小さな虫を発見しやすいと知っているのだろう。
ネットによると、鳴き声はヒーヒーヒー・・・と一定間隔でとても軽い、ガラスをひっかくような頼りない高い声である。オスのさえずり声はもう少し変化があるそうだが。だから、あのカタカタいう声は、一体何だったのだろう、スズメの警戒音にも似た音。夕闇の中で私に向かって、明らかに自分の存在主張と聞えた。
海外で行方不明になっている息子が、帰りたがっているような気がしてしまう。何をしていても常に私の頭から離れることのない思いが、こんな小鳥を呼び寄せたのだろうか。
画像はネットからお借りしました。
歌の集いの参加者も二日間共予約が順調に埋まり、準備が一段落した。
跡を引いていたインフルエンザの影響も殆ど感じなくなったので、ここ数日毎日庭に出てバラの剪定と(つるバラの)誘引作業に本腰を入れている。と言っても、100本以上あるし、ズボラ栽培だからお釈迦になった株の除去や、息も絶え絶えの成長不振株の植え替えも含めると膨大な手間がかかる。大作業は一つ二つにして、後はとにかく目についたところから思いつくまま、というところだけれど。
木鋏でチョッキンチョッキンしていると、直ぐ傍で小鳥の羽音がしてその後も気配が続く。振り返ると地味な色のふっくらした野鳥が尾を振り振りこちらを見ている。ずいぶん人懐っこそうな子。まるで「何か食べ物を頂戴」と言ってるみたい。思わず「あら、あなたにあげられるものがあるのかしらねぇ~」とつぶやいてしまった。
向き直っても逃げないので、そうだ写真を撮ろう、とポケットの携帯を探った。ところが取り出す前に、持っていた木鋏の方を落っことして音を立ててしまったので、あっと言う間に飛び去ってしまった。失敗、失敗。
それでも、一日作業して何度か家を出入りし、日も傾いてきたしガーデンチェアに座って体を休め、いよいよ今日は引き揚げようかなと言うときに再び戻って来た。本当に目と鼻の先まで来て、ちゃんと目を合わせ、私がかける声を聞いていくように見える。
こういうことが、ここ4日間続いている。
週末、夫が作業に加わった日は、流石に怖かったのかいつもの時間(4時半前後)に表れなかった。もういかにも暗くなり、街灯に灯もついたし、今日はもう諦めようと思っていると、どこかでカタカタ、カタカタ、と不自然な音がする。
「?」と目を凝らすと、いたいた!バラの2.3M高のフェンスのてっぺんに停まってこちらを見ているあのふっくらしたシルエット―あの子に違いない。
「今日は遅かったのね」「こんなに暗くなったのに大丈夫?」「早くおうちにお帰りなさい」と、話しかけると、自分の存在をアピールするかのようにずっとカタカタという音を出しながら周囲を飛んだ後、どこかへ消えていった。夫が「本当だったんだね」とびっくりしていた。
始めはウグイスの子供だろうかと思ったけれど、ネットで調べたらジョウビタキのメスだと判明した。性格的にかなり人に接近してくる鳥のようだ。餌付けしてみたいところだが、ウグイスと同じで生き餌しか食べないようなので、穀物や果物を置いても見向きもしない。メジロやヒヨドリに全部さらわれるだけである。その代わり?植え替えをしたバラの鉢とか、下草を取り除いた地面に興味があるらしく、夕方になるとその日作業した後をまるで点検するかのように念入りに探っていく。きっとそういうところは小さな虫を発見しやすいと知っているのだろう。
ネットによると、鳴き声はヒーヒーヒー・・・と一定間隔でとても軽い、ガラスをひっかくような頼りない高い声である。オスのさえずり声はもう少し変化があるそうだが。だから、あのカタカタいう声は、一体何だったのだろう、スズメの警戒音にも似た音。夕闇の中で私に向かって、明らかに自分の存在主張と聞えた。
海外で行方不明になっている息子が、帰りたがっているような気がしてしまう。何をしていても常に私の頭から離れることのない思いが、こんな小鳥を呼び寄せたのだろうか。
画像はネットからお借りしました。
2017年2月21日火曜日
あえて「目的は?」って聞かれて
母の老人ホームでの懐メロを歌う集いだが、母亡き後も続けて欲しいと希望してくださったのでとうとう丸6年、月に1回を貫くことが出来た。
その上、参加希望者が当初のリビングでは入りきらなくなったので、食堂に移して開催して欲しいとの申し出。嬉しいお話である。
これほど喜んでくださるなら、他の施設や、あるいは自分の住んでいる地域でも(居住者の高齢化が進んでいることだし)同じような、「愛唱歌を歌って楽しむ」趣旨の集いが出来ないものかと思っていたところ・・・
いつもワンちゃんのお散歩途中に、我が家の生け垣の隙間から庭のバラを覗いていくお父さんの奥さんが、音大出で声楽家だと知る。私もコーラスにハマっているので意気投合して話すうち、最近地域のコミュニティセンターとして開放された施設に、防音と電子ピアノが備え付けられていることから、彼女やそのお仲間による声楽のコンサートと、私の、素人が皆で歌って楽しむ集いとをコラボさせた会を定期的に開こうという話になった。定員がたった30人なのだが、その程度集まれば十分ということでチラシを作成してPRしている。
この歳になって今更目立ちたくてやるわけではない。寧ろその逆で、今からそんなこと始めちゃってどうするの?という処はある。でも、千葉という処に住んでやっと10年、町内会役員をしてみて少しだけ知己が増えてはいるのだが、そうでもなければ全く「隣は何をする人ぞ」数件向こうに離れたら、もう皆目、顔も名前もわからない。これでいざ大災害に見舞われて、安否確認と言ったって避難所生活と言ったって、スムーズにことが運ぶわけがないと思う。そんなことになる以前に、少しでも人と人の絆を強めておきたいと思う。夫から「何でそんなことを。目的は?」と聞かれて即座に「親睦」と答えた。
人と人が絆を深める一番は「飲食」を共にすることだろう。「スポーツ」もある。そして「音楽」と呼ぶには及ばないかも知れないが、思いをメロディーにのせた「歌」は人を繋ぐのにとても有効なツールだと思っている。
高齢化してなかなか外に出ようという意欲がなくなると見え、孤立していく家庭も少なくないというのが現実だが、音楽には癒やしの効果もあるので、極力私の担当する「皆で歌おう」部門では、楽譜が読めなくても、声が出なくても、対応できる形を目指したいと思う。歌詞カードと生ピアノの伴奏ーーオーケストラの録音ではなく、高さもスピードも、どの曲を何番までか、前奏間奏も自由に決められる、これがミソ。
思う時期に会場予約が取れたので、とりあえず4月早々に第1回を<春の会>として出来ることになった。古稀を前に、私自身のチャレンジでもある。
その上、参加希望者が当初のリビングでは入りきらなくなったので、食堂に移して開催して欲しいとの申し出。嬉しいお話である。
これほど喜んでくださるなら、他の施設や、あるいは自分の住んでいる地域でも(居住者の高齢化が進んでいることだし)同じような、「愛唱歌を歌って楽しむ」趣旨の集いが出来ないものかと思っていたところ・・・
いつもワンちゃんのお散歩途中に、我が家の生け垣の隙間から庭のバラを覗いていくお父さんの奥さんが、音大出で声楽家だと知る。私もコーラスにハマっているので意気投合して話すうち、最近地域のコミュニティセンターとして開放された施設に、防音と電子ピアノが備え付けられていることから、彼女やそのお仲間による声楽のコンサートと、私の、素人が皆で歌って楽しむ集いとをコラボさせた会を定期的に開こうという話になった。定員がたった30人なのだが、その程度集まれば十分ということでチラシを作成してPRしている。
この歳になって今更目立ちたくてやるわけではない。寧ろその逆で、今からそんなこと始めちゃってどうするの?という処はある。でも、千葉という処に住んでやっと10年、町内会役員をしてみて少しだけ知己が増えてはいるのだが、そうでもなければ全く「隣は何をする人ぞ」数件向こうに離れたら、もう皆目、顔も名前もわからない。これでいざ大災害に見舞われて、安否確認と言ったって避難所生活と言ったって、スムーズにことが運ぶわけがないと思う。そんなことになる以前に、少しでも人と人の絆を強めておきたいと思う。夫から「何でそんなことを。目的は?」と聞かれて即座に「親睦」と答えた。
人と人が絆を深める一番は「飲食」を共にすることだろう。「スポーツ」もある。そして「音楽」と呼ぶには及ばないかも知れないが、思いをメロディーにのせた「歌」は人を繋ぐのにとても有効なツールだと思っている。
高齢化してなかなか外に出ようという意欲がなくなると見え、孤立していく家庭も少なくないというのが現実だが、音楽には癒やしの効果もあるので、極力私の担当する「皆で歌おう」部門では、楽譜が読めなくても、声が出なくても、対応できる形を目指したいと思う。歌詞カードと生ピアノの伴奏ーーオーケストラの録音ではなく、高さもスピードも、どの曲を何番までか、前奏間奏も自由に決められる、これがミソ。
思う時期に会場予約が取れたので、とりあえず4月早々に第1回を<春の会>として出来ることになった。古稀を前に、私自身のチャレンジでもある。
2017年2月15日水曜日
暖房無しの部屋で頑張る事情
今夜も外は-3℃~5℃くらいになっている。
そんな夜中に、私はパソコンからプリントするために、家庭用プリンター複合機にへばりついている。しかもこの部屋には暖房が無い。あったけど壊れてしまった。冬になって間もなくに、変な音がしてついにお釈迦になったのだ。仕方が無いから今はダウンのオーバーコートを着て作業している。
すぐに直したいのはやまやまだけど、何しろ私専用の書斎というかパソコン部屋であり、洗濯物干し場でありアイロン部屋であり、時にはミシンも持ち込む・・・つまりは作業部屋なのである。整理整頓が大の苦手な私の作業部屋ということは、別名を倉庫とも言う。
てわけで、エアコン取り替えして貰う前に、電気やさんをお通し出来るようやらなきゃならない大作業があるんだけど、次から次へと優先事項が出来ては先延ばしで、いつまでたっても片付かない。
それで結局、リビングのお客様用のテーブルの上に娘と一緒にパソコンを並べた。昨日まではそれほどプリンターに長くへばりついていなくても良かったので、寒~い書斎にいなくても用が足せた。だから個々の部屋でエアコンをかけるよりも今年はかなり節約になっている筈、とほくそ笑んでいた。
でも、今日はそうはいかない。
懐メロ歌う会の延長で、4月からある新しい企画をもくろんでいる。そのチラシの印刷なのだ。たったの25席という小さな会場だが、近所に在住の(自称?)声楽家らによるミニ・コンサートと、懐メロを歌って楽しむ会とをドッキングさせてみたらどうなるか?という実験みたいなものである。
名付けて「歌友(うたとも)くらぶ」。同じ県内で「うたごえ倶楽部」という同じ趣旨のグループがあるようなので、半分真似して名付けた。
母のところでのボランティアはそれはそれで続けられる限りは続けたいが、町内会役員をして初めてわかったのは、いかにお互いのことを知らないかということだった。それが人も羨む「閑静な住宅地」というこの地区の落とし穴かもしれない。
しかし、自分も含めて高齢化の流れの中、物理的条件以上に人々は孤立化し、ますます互いの顔が見えなくなっている。災害が起きることも十分予想される以上、災害による相互助け合いの必要が生じる事態になる以前に、身近なところで少しでも人を繋ぐ切っ掛けを作っておくことは大事なのではないか。楽しみながら何かできればと思うのである。
そんな夜中に、私はパソコンからプリントするために、家庭用プリンター複合機にへばりついている。しかもこの部屋には暖房が無い。あったけど壊れてしまった。冬になって間もなくに、変な音がしてついにお釈迦になったのだ。仕方が無いから今はダウンのオーバーコートを着て作業している。
すぐに直したいのはやまやまだけど、何しろ私専用の書斎というかパソコン部屋であり、洗濯物干し場でありアイロン部屋であり、時にはミシンも持ち込む・・・つまりは作業部屋なのである。整理整頓が大の苦手な私の作業部屋ということは、別名を倉庫とも言う。
てわけで、エアコン取り替えして貰う前に、電気やさんをお通し出来るようやらなきゃならない大作業があるんだけど、次から次へと優先事項が出来ては先延ばしで、いつまでたっても片付かない。
それで結局、リビングのお客様用のテーブルの上に娘と一緒にパソコンを並べた。昨日まではそれほどプリンターに長くへばりついていなくても良かったので、寒~い書斎にいなくても用が足せた。だから個々の部屋でエアコンをかけるよりも今年はかなり節約になっている筈、とほくそ笑んでいた。
でも、今日はそうはいかない。
懐メロ歌う会の延長で、4月からある新しい企画をもくろんでいる。そのチラシの印刷なのだ。たったの25席という小さな会場だが、近所に在住の(自称?)声楽家らによるミニ・コンサートと、懐メロを歌って楽しむ会とをドッキングさせてみたらどうなるか?という実験みたいなものである。
名付けて「歌友(うたとも)くらぶ」。同じ県内で「うたごえ倶楽部」という同じ趣旨のグループがあるようなので、半分真似して名付けた。
母のところでのボランティアはそれはそれで続けられる限りは続けたいが、町内会役員をして初めてわかったのは、いかにお互いのことを知らないかということだった。それが人も羨む「閑静な住宅地」というこの地区の落とし穴かもしれない。
しかし、自分も含めて高齢化の流れの中、物理的条件以上に人々は孤立化し、ますます互いの顔が見えなくなっている。災害が起きることも十分予想される以上、災害による相互助け合いの必要が生じる事態になる以前に、身近なところで少しでも人を繋ぐ切っ掛けを作っておくことは大事なのではないか。楽しみながら何かできればと思うのである。
2017年2月3日金曜日
PTAって、「入らない」選択もあったのか。
知らなかった。
PTAって、強制力の無い団体だったのね。子供が入学した以上は親がPTAに入るのが義務だと思っていたから、入会しないという選択があるとは思っていなかった。NET(mixi)にこの記事を見つけて、目から鱗だ。
昔、子供たち3人の幼稚園や学校で、ずいぶんとPTA役員をした。特に上の子供より3人目の子の時が。親となってからはずっと専業主婦だったし、上の子供たちの経験からある程度PTAというものの役割が見えてきていたので、もう否応無しに役員、それも「長」の付く役が回ってきて、最後は会長までやることになったものだ。
例年、年度変わりの時期になると、若いママ友の間はで「どうやって役員を逃れるか」という話題で盛り上がるのだそうだ。よく分かる。役員はやはり大変だし、個人の適性もあると思うから。
もしフルタイムで職を持っている人なら、分身の術でも使えない限り、大変な犠牲を強いられることになるだろう。病や障害を持つ親族の介護看護をしている人も同じである。
また、 内気で、極端に防御意識の強い人が、学校(教師)と親たちの間に立ってキーマンとして動くことになったら、それはそれでものすごいストレスだろうと思う。(ただ、これは客観的に判断しにくい問題なのだが)
得てして、そういう事情を抱えた人がおずおずと、或いは堂々と、「辞退させて欲しい」旨を申し出た時にどう対処するかで、そのグループのその後の雰囲気が決まってしまうと私は思っている。
シラっと「誰もがやりたくないのだから、条件は同じ」と言い放つ人がいて、「姑や小姑らから暇人だと思われたくない」などという問題まで同等の事情として持ち出し、一刀両断に「くじ引きしましょ」という流れになるとすれば、その後のまとまりは最悪である。
人としての思いやりに欠け、自分の利しか眼中に無い。その流れを是認するような出発をしたら、そのグループが、子供たちを良い条件で教育したいという大きな共通の目的のためにその後も協力出来るとは思いにくい。
そこで大抵はそういう状況を見かねたお人好しが引き受けることになる。その何回かは私だった。
けれど、その背景には「PTA加入は義務」ということが大前提だった。
それが思い込みだったとなると・・・
今後は、学校はこの件についてきちんと周知させるべきだ。そして、役員のがれのためのPTA非加入という選択を増やさないよう、きめ細かい対応をする必要がある。例えば、PTAに加入しても役員をせずに済む条件提示をするとか。
また、ネット記事には、役員をすることによるメリットの方も書かれていて、確かに私はそのメリットを存分に享受してきたと納得する内容だった。もしかして、敢えて役員を引き受けることによって、他の人の利益のチャンスを奪ってしまったのかも知れないとさえ思った。それなら、今後は専業主婦でなくても出来るようなPTA活動へと、社会の現状に合わせた見直しも必須だろうと思う。
色々なことを思い出し、考えさせられました。
PTAって、強制力の無い団体だったのね。子供が入学した以上は親がPTAに入るのが義務だと思っていたから、入会しないという選択があるとは思っていなかった。NET(mixi)にこの記事を見つけて、目から鱗だ。
昔、子供たち3人の幼稚園や学校で、ずいぶんとPTA役員をした。特に上の子供より3人目の子の時が。親となってからはずっと専業主婦だったし、上の子供たちの経験からある程度PTAというものの役割が見えてきていたので、もう否応無しに役員、それも「長」の付く役が回ってきて、最後は会長までやることになったものだ。
例年、年度変わりの時期になると、若いママ友の間はで「どうやって役員を逃れるか」という話題で盛り上がるのだそうだ。よく分かる。役員はやはり大変だし、個人の適性もあると思うから。
もしフルタイムで職を持っている人なら、分身の術でも使えない限り、大変な犠牲を強いられることになるだろう。病や障害を持つ親族の介護看護をしている人も同じである。
また、 内気で、極端に防御意識の強い人が、学校(教師)と親たちの間に立ってキーマンとして動くことになったら、それはそれでものすごいストレスだろうと思う。(ただ、これは客観的に判断しにくい問題なのだが)
得てして、そういう事情を抱えた人がおずおずと、或いは堂々と、「辞退させて欲しい」旨を申し出た時にどう対処するかで、そのグループのその後の雰囲気が決まってしまうと私は思っている。
シラっと「誰もがやりたくないのだから、条件は同じ」と言い放つ人がいて、「姑や小姑らから暇人だと思われたくない」などという問題まで同等の事情として持ち出し、一刀両断に「くじ引きしましょ」という流れになるとすれば、その後のまとまりは最悪である。
人としての思いやりに欠け、自分の利しか眼中に無い。その流れを是認するような出発をしたら、そのグループが、子供たちを良い条件で教育したいという大きな共通の目的のためにその後も協力出来るとは思いにくい。
そこで大抵はそういう状況を見かねたお人好しが引き受けることになる。その何回かは私だった。
けれど、その背景には「PTA加入は義務」ということが大前提だった。
それが思い込みだったとなると・・・
今後は、学校はこの件についてきちんと周知させるべきだ。そして、役員のがれのためのPTA非加入という選択を増やさないよう、きめ細かい対応をする必要がある。例えば、PTAに加入しても役員をせずに済む条件提示をするとか。
また、ネット記事には、役員をすることによるメリットの方も書かれていて、確かに私はそのメリットを存分に享受してきたと納得する内容だった。もしかして、敢えて役員を引き受けることによって、他の人の利益のチャンスを奪ってしまったのかも知れないとさえ思った。それなら、今後は専業主婦でなくても出来るようなPTA活動へと、社会の現状に合わせた見直しも必須だろうと思う。
色々なことを思い出し、考えさせられました。
2017年1月20日金曜日
「一粒の麦」でありたい
ボランティアで行う活動において「質」を保つための努力は不必要なのだろうか?
これまで、母がお世話になった老人ホームで実践をベースにして、高齢者と歌を歌って楽しむ集いのあり方を自分なりにまとめ上げ、かなり明確な方向性が見えてきたと思っている。
先日、新たな場所でのお誘いを受けたことが契機となり、そこでも出来るだけ速やかに安定した形で集いを提供できるような方向付けをしたいと考え、たとえ月に1回といえども、バックステージでの準備や当日の役割分担が必要であることをお話し、近隣で参加可能な複数のボランティアによる「チーム」の構築(募集をかける)を提案したのだが、結果的に施設の責任者が「うちではそこまで求めていない」「複数のボランティアとなると受け入れに協力する余裕が無い」との返事で、結論を言うとそれ以上は駒を進められなかった。
先日、新たな場所でのお誘いを受けたことが契機となり、そこでも出来るだけ速やかに安定した形で集いを提供できるような方向付けをしたいと考え、たとえ月に1回といえども、バックステージでの準備や当日の役割分担が必要であることをお話し、近隣で参加可能な複数のボランティアによる「チーム」の構築(募集をかける)を提案したのだが、結果的に施設の責任者が「うちではそこまで求めていない」「複数のボランティアとなると受け入れに協力する余裕が無い」との返事で、結論を言うとそれ以上は駒を進められなかった。
私が第1に強調したのは、そもボランティアとは、誰かが誰かに何かを一方的に提供するものではなく、互いに与え合う双方向の活動であるということである。
それは、このボランティアに参加するうちに、引きこもりを脱して初めてピアノが弾けることに幸せを見いだし、自信を付けて極度の吃音さえ克服、「卒業=就職」していったMさんが生きた証人である。
第2に、この活動を成り立たせるために必要なのは、ピアノ・キーボードの技術だけではなく、音楽を通して高齢者と「人と人」として関係を築けるかどうか、そんな信頼関係に基づいて、集団を合目的的にマネジメントする力であること。
私の思いとのギャップは、施設側が言う「ちょっと弾いて下されば済むことでしょ?」という言葉に凝縮されている。
勿論、声や楽器による音楽演奏にある程度堪能であることや、歌を愛し広く知識を持っていることは必要条件には違いない。けれど技術や知識が十分条件ではないのだという話が、結局は理解して頂けなかった。単に“入居者の要望にお応えしていますよ”という施設運営側のアリバイ作りに利用されるだけだと言うことだろう。
「そこまでは求めていない」・・・私の言っていることはそんなに高い要求だろうか?人として持つべき当たり前の敬意があったら、当然のことであると私は思う。
たとえ音楽療法士など有資格者による治療目的の働きかけでは無くても、音楽をツールとして人間が人間を対象にすることに変わりは無い。内容論としても方法論としても、「質」を保つ努力を忘れてはいけないと思う。“カラオケで流行歌を歌うより、生で唱歌が歌いたい”と自ら希望した方たちであるならなおさらであろう。この集いを希望してこられた方たちには引き継ぐことが叶わなくなって申し訳ないと心が痛む。
しかし、残念だけれどこれが現実である。
私がもう少し自由自在にピアノが弾けていれば、ということと、加齢による限界がすぐそこに来ていることと・・・。協力者無しに新しい場所で展開していくパワーが私には足りない。
ただし、物事は考えようである。「一粒の麦、もし死なずばただ一粒にて留まる。死ねば多くの実を結ぶ」という喩えが聖書にある。
私がもし、若くて前途洋々、一人で何もかも出来る人間だったら、チームも協力体制の工夫も生まれなかったかもしれない。
そう考えて、超高齢化社会の中で支え合って生きていく知恵のひとかけらかも知れないけれど、私は少しでも多くの実を結ぶ、麦の一粒でありたいと思うのである。
2017年1月5日木曜日
娘呼ぶ「ばあちゃんの洗脳日記」だが
(バラ:ガブリエル)
去年亡くなった母の、アルバム類と日記など入った段ボール箱が、不要品の山の中に紛れ込んでいるのを発見。慌てて軒下に移したものの、かなり傷んでシミだらけ。
もう捨てるっきゃないな、と思いつつ、その日記を開いてみると・・・
それは数年前、認知症の母が当時の自分の状況(見知らぬ土地で娘世帯と同居生活)を理解出来るようにと、母の立場で私が綴り、いつも母の身近に置いてあった、いわば母の最後の日記だった。
3年連用で、その前年までは何とか浜松の自宅にいたので自力で書いていたようだが、こちらに同居してからは、記憶障害で全く書くのは無理になり、その一方5分前のことも憶えていられない不安の中にある母にとって、自分を確認する手がかりとして日記は大事なものだった。
都合のいいことに、母と私は筆跡がよく似ていた。たとえば人の名前の脇に必ず「夫」とか「兄」とか、「ありがとうさま」「しんぱいだ・・・。」など、ところどころに母が書き込みをしているのだが、私でなければ多分見分けられないだろう。母も全く気づいていなかった。
娘はこれを「おばあちゃんの洗脳日記だね」と言う。
それがどういう意味かというと、たとえば以下はある日の例。
○月10日:今日は華子が車のナビ(道案内装置)を直しに行くというので留守番した。2時間半くらいかかって帰ってきて、疲れているところへ、私が、「壁にあんたが貼った張り紙の内容が、あまりに分かりきったことが書いてあって、私がいかにもバカだといわんばかりだ」と文句を言ったため、怒り出した。「そのわかりきったことを一日中何回も聞かれる身になったら?」と言われた。
○月11日:昨日華子に言われたことを考えてみる。そんなに迷惑を掛けているなら死んだ方がいいと思うが、誠ちゃま(父のこと)が「歩けるようになって帰るから待っててくれよ」と言う以上、生きていてあげなければと思う。でも、午後、老健にいって顔を合わせた時にはすっかり忘れてしまっていた。華子は誠ちゃまに新しいトレーニングウェアと下着を持って行ってくれていた。ありがとうさまでした。
そしてこの最後の「ありがとうさまでした」だけは、母の字である。あとから読み返して、感謝する気持ちになったということだろう。まあそのあたりが狙い所である。
壁に貼った「わかりきったこと」とは、たとえば父母の年齢・現在の住所・娘宅に同居中・表札の写真(娘は嫁に行ったわけではなく今も皐月姓←これはかなり大事な情報)・孫も含めた家族の写真・父の状態・・・などであり、もう自動応答マシンを使いたいくらい四六時中尋ねられる情報である。
留守番して暇だったので何度も張り紙を見ていて「わかりきったこと」と思い、馬鹿にされているという被害妄想に至ったのだろう。しかし実際は、「分かった。今聞いて分かったからもう聞かないよ」と必ず言う。そして数分後には同じことを聞いてくる。その繰り返しなのだ。
記憶力に自信のあった母のプライドが垣間見える事実の言動をもとに、すぐに「死んでやる」と言葉で脅迫する母の常套句を踏まえて、自然に「回復してくる夫を待っていてやろう」という気持ちにさせるよう導く操作をして、最後は「ありがとうさま」に至るよう誘導しているわけだから、「洗脳」には違いない。この日記は、私の謀略日記でもあると気づき、新たな興味も湧いて改めて読み返している次第だ。
期間は1月1日~9月半ば、父が亡くなるまで。正確に言うと8月初旬から父母は私達の家から老人ホーム暮らしになったので毎日は書き込めなくなったのだが、ホーム入居後間もなく父が発熱して入院し、病状が悪化して天国に旅立つまで、一人で老人ホームに残されている母に父の状況を知らせる必要があり、葬儀までを書き込み続けたのである。
そこには、忘れていた多くのことが書かれていた―― 一言で言えばホントに大変だった。
○母だけでなく、父も結構わがままを言ったということ。わがままというより、父の呆けも急速に進んでいたのに、私達の認識とのギャップがあったこと。
○ごくたまに言った父の要望に「何故?」ともっと問いかけるべきだったということ。表面的な非現実性だけにとらわれて、その発言の底にある気持ちを聞き取ってやる努力が足りなかったと思う。
○母がデイ・サービスに行って何をしてどんなことを言ったかの記録が詳しいのに驚く。それだけ担当者が細かい記録を届けて下さっていたのであろう。申し訳ないことにもう忘れてしまっているが。小規模多機能施設の有難さに改めて感謝した。
まだまだ大切にするべき想い出・事実がたくさん出て来そうだ。私自身の親の介護はもう二度と無いけれど。捨てる前に、ファイルに取っておこうと思う。
登録:
投稿 (Atom)