2018年6月18日月曜日

私のワインは何色か?

 先日、旧くて新しい友人の家を訪ねた。

 人の幸不幸を比較は出来ないし、そんなこと云々するのは無意味なのだが。
 彼のところにあってわたしのところには無いもの、あるいはその逆のもの、様々な目に見えない事柄が、沢山心の中に見えた――と言うより走馬燈のように通り過ぎていったように思う。
 通り過ぎながら、私は語りかけられた。自分がいつもお年寄りや闘病中の方に、言っているその言葉に。
 「あなたの人生は、ラベルが貼られていないワインのよう」「赤か白かまだ決まっていない。それを幸せの色にするかどうかは、あなた次第」と言ったけれど、ではそういう私のワインは幸せ色なのか、あるいはその逆か?どちらなのだろう。

  今日まで私は一体、何をしてきたのだろう?
 とうとう息子が消息を断ってから1年が過ぎてしまった。
 自分が何の役にも立たない、それどころか「毒親」だったのかと思う時ほど
辛いものはない。
 たとえどんなに成功し、或いは大金持ちになっても虚しい。
 そんなつもりじゃなかったと言っても許されない、且つ償えない罰を受けている
ようなもの。

 毒親の被害者だと思って自分を哀れんでいる間に、加害者になっていたのか・・・
 これがやはり「連鎖」というものなのだろうか。
 私は近頃、欝の出入り口を行ったり来たりしている。

2018年2月13日火曜日

可愛い訪問客~ジョウビタキ~

三寒四温の季節。
歌の集いの参加者も二日間共予約が順調に埋まり、準備が一段落した。
跡を引いていたインフルエンザの影響も殆ど感じなくなったので、ここ数日毎日庭に出てバラの剪定と(つるバラの)誘引作業に本腰を入れている。と言っても、100本以上あるし、ズボラ栽培だからお釈迦になった株の除去や、息も絶え絶えの成長不振株の植え替えも含めると膨大な手間がかかる。大作業は一つ二つにして、後はとにかく目についたところから思いつくまま、というところだけれど。

木鋏でチョッキンチョッキンしていると、直ぐ傍で小鳥の羽音がしてその後も気配が続く。振り返ると地味な色のふっくらした野鳥が尾を振り振りこちらを見ている。ずいぶん人懐っこそうな子。まるで「何か食べ物を頂戴」と言ってるみたい。思わず「あら、あなたにあげられるものがあるのかしらねぇ~」とつぶやいてしまった。
向き直っても逃げないので、そうだ写真を撮ろう、とポケットの携帯を探った。ところが取り出す前に、持っていた木鋏の方を落っことして音を立ててしまったので、あっと言う間に飛び去ってしまった。失敗、失敗。
それでも、一日作業して何度か家を出入りし、日も傾いてきたしガーデンチェアに座って体を休め、いよいよ今日は引き揚げようかなと言うときに再び戻って来た。本当に目と鼻の先まで来て、ちゃんと目を合わせ、私がかける声を聞いていくように見える。
こういうことが、ここ4日間続いている。

週末、夫が作業に加わった日は、流石に怖かったのかいつもの時間(4時半前後)に表れなかった。もういかにも暗くなり、街灯に灯もついたし、今日はもう諦めようと思っていると、どこかでカタカタ、カタカタ、と不自然な音がする。
「?」と目を凝らすと、いたいた!バラの2.3M高のフェンスのてっぺんに停まってこちらを見ているあのふっくらしたシルエット―あの子に違いない。
「今日は遅かったのね」「こんなに暗くなったのに大丈夫?」「早くおうちにお帰りなさい」と、話しかけると、自分の存在をアピールするかのようにずっとカタカタという音を出しながら周囲を飛んだ後、どこかへ消えていった。夫が「本当だったんだね」とびっくりしていた。

始めはウグイスの子供だろうかと思ったけれど、ネットで調べたらジョウビタキのメスだと判明した。性格的にかなり人に接近してくる鳥のようだ。餌付けしてみたいところだが、ウグイスと同じで生き餌しか食べないようなので、穀物や果物を置いても見向きもしない。メジロやヒヨドリに全部さらわれるだけである。その代わり?植え替えをしたバラの鉢とか、下草を取り除いた地面に興味があるらしく、夕方になるとその日作業した後をまるで点検するかのように念入りに探っていく。きっとそういうところは小さな虫を発見しやすいと知っているのだろう。
ネットによると、鳴き声はヒーヒーヒー・・・と一定間隔でとても軽い、ガラスをひっかくような頼りない高い声である。オスのさえずり声はもう少し変化があるそうだが。だから、あのカタカタいう声は、一体何だったのだろう、スズメの警戒音にも似た音。夕闇の中で私に向かって、明らかに自分の存在主張と聞えた。


海外で行方不明になっている息子が、帰りたがっているような気がしてしまう。何をしていても常に私の頭から離れることのない思いが、こんな小鳥を呼び寄せたのだろうか。
画像はネットからお借りしました。






2017年2月21日火曜日

あえて「目的は?」って聞かれて

 母の老人ホームでの懐メロを歌う集いだが、母亡き後も続けて欲しいと希望してくださったのでとうとう丸6年、月に1回を貫くことが出来た。
 その上、参加希望者が当初のリビングでは入りきらなくなったので、食堂に移して開催して欲しいとの申し出。嬉しいお話である。

 

 これほど喜んでくださるなら、他の施設や、あるいは自分の住んでいる地域でも(居住者の高齢化が進んでいることだし)同じような、「愛唱歌を歌って楽しむ」趣旨の集いが出来ないものかと思っていたところ・・・

 いつもワンちゃんのお散歩途中に、我が家の生け垣の隙間から庭のバラを覗いていくお父さんの奥さんが、音大出で声楽家だと知る。私もコーラスにハマっているので意気投合して話すうち、最近地域のコミュニティセンターとして開放された施設に、防音と電子ピアノが備え付けられていることから、彼女やそのお仲間による声楽のコンサートと、私の、素人が皆で歌って楽しむ集いとをコラボさせた会を定期的に開こうという話になった。定員がたった30人なのだが、その程度集まれば十分ということでチラシを作成してPRしている。

 この歳になって今更目立ちたくてやるわけではない。寧ろその逆で、今からそんなこと始めちゃってどうするの?という処はある。でも、千葉という処に住んでやっと10年、町内会役員をしてみて少しだけ知己が増えてはいるのだが、そうでもなければ全く「隣は何をする人ぞ」数件向こうに離れたら、もう皆目、顔も名前もわからない。これでいざ大災害に見舞われて、安否確認と言ったって避難所生活と言ったって、スムーズにことが運ぶわけがないと思う。そんなことになる以前に、少しでも人と人の絆を強めておきたいと思う。夫から「何でそんなことを。目的は?」と聞かれて即座に「親睦」と答えた。
 人と人が絆を深める一番は「飲食」を共にすることだろう。「スポーツ」もある。そして「音楽」と呼ぶには及ばないかも知れないが、思いをメロディーにのせた「歌」は人を繋ぐのにとても有効なツールだと思っている。
 高齢化してなかなか外に出ようという意欲がなくなると見え、孤立していく家庭も少なくないというのが現実だが、音楽には癒やしの効果もあるので、極力私の担当する「皆で歌おう」部門では、楽譜が読めなくても、声が出なくても、対応できる形を目指したいと思う。歌詞カードと生ピアノの伴奏ーーオーケストラの録音ではなく、高さもスピードも、どの曲を何番までか、前奏間奏も自由に決められる、これがミソ。

 思う時期に会場予約が取れたので、とりあえず4月早々に第1回を<春の会>として出来ることになった。古稀を前に、私自身のチャレンジでもある。


 

2017年2月15日水曜日

暖房無しの部屋で頑張る事情

 今夜も外は-3℃~5℃くらいになっている。
 そんな夜中に、私はパソコンからプリントするために、家庭用プリンター複合機にへばりついている。しかもこの部屋には暖房が無い。あったけど壊れてしまった。冬になって間もなくに、変な音がしてついにお釈迦になったのだ。仕方が無いから今はダウンのオーバーコートを着て作業している。
 

 すぐに直したいのはやまやまだけど、何しろ私専用の書斎というかパソコン部屋であり、洗濯物干し場でありアイロン部屋であり、時にはミシンも持ち込む・・・つまりは作業部屋なのである。整理整頓が大の苦手な私の作業部屋ということは、別名を倉庫とも言う。
 てわけで、エアコン取り替えして貰う前に、電気やさんをお通し出来るようやらなきゃならない大作業があるんだけど、次から次へと優先事項が出来ては先延ばしで、いつまでたっても片付かない。

 それで結局、リビングのお客様用のテーブルの上に娘と一緒にパソコンを並べた。昨日まではそれほどプリンターに長くへばりついていなくても良かったので、寒~い書斎にいなくても用が足せた。だから個々の部屋でエアコンをかけるよりも今年はかなり節約になっている筈、とほくそ笑んでいた。

 でも、今日はそうはいかない。
 懐メロ歌う会の延長で、4月からある新しい企画をもくろんでいる。そのチラシの印刷なのだ。たったの25席という小さな会場だが、近所に在住の(自称?)声楽家らによるミニ・コンサートと、懐メロを歌って楽しむ会とをドッキングさせてみたらどうなるか?という実験みたいなものである。
 名付けて「歌友(うたとも)くらぶ」。同じ県内で「うたごえ倶楽部」という同じ趣旨のグループがあるようなので、半分真似して名付けた。

 母のところでのボランティアはそれはそれで続けられる限りは続けたいが、町内会役員をして初めてわかったのは、いかにお互いのことを知らないかということだった。それが人も羨む「閑静な住宅地」というこの地区の落とし穴かもしれない。

 しかし、自分も含めて高齢化の流れの中、物理的条件以上に人々は孤立化し、ますます互いの顔が見えなくなっている。災害が起きることも十分予想される以上、災害による相互助け合いの必要が生じる事態になる以前に、身近なところで少しでも人を繋ぐ切っ掛けを作っておくことは大事なのではないか。楽しみながら何かできればと思うのである。


2017年2月3日金曜日

PTAって、「入らない」選択もあったのか。

 知らなかった。
 PTAって、強制力の無い団体だったのね。子供が入学した以上は親がPTAに入るのが義務だと思っていたから、入会しないという選択があるとは思っていなかった。NET(mixi)にこの記事を見つけて、目から鱗だ。

  

 昔、子供たち3人の幼稚園や学校で、ずいぶんとPTA役員をした。特に上の子供より3人目の子の時が。親となってからはずっと専業主婦だったし、上の子供たちの経験からある程度PTAというものの役割が見えてきていたので、もう否応無しに役員、それも「長」の付く役が回ってきて、最後は会長までやることになったものだ。

 例年、年度変わりの時期になると、若いママ友の間はで「どうやって役員を逃れるか」という話題で盛り上がるのだそうだ。よく分かる。役員はやはり大変だし、個人の適性もあると思うから。
 もしフルタイムで職を持っている人なら、分身の術でも使えない限り、大変な犠牲を強いられることになるだろう。病や障害を持つ親族の介護看護をしている人も同じである。
 また、 内気で、極端に防御意識の強い人が、学校(教師)と親たちの間に立ってキーマンとして動くことになったら、それはそれでものすごいストレスだろうと思う。(ただ、これは客観的に判断しにくい問題なのだが)

 得てして、そういう事情を抱えた人がおずおずと、或いは堂々と、「辞退させて欲しい」旨を申し出た時にどう対処するかで、そのグループのその後の雰囲気が決まってしまうと私は思っている。
 シラっと「誰もがやりたくないのだから、条件は同じ」と言い放つ人がいて、「姑や小姑らから暇人だと思われたくない」などという問題まで同等の事情として持ち出し、一刀両断に「くじ引きしましょ」という流れになるとすれば、その後のまとまりは最悪である。
 人としての思いやりに欠け、自分の利しか眼中に無い。その流れを是認するような出発をしたら、そのグループが、子供たちを良い条件で教育したいという大きな共通の目的のためにその後も協力出来るとは思いにくい。 
 そこで大抵はそういう状況を見かねたお人好しが引き受けることになる。その何回かは私だった。

 けれど、その背景には「PTA加入は義務」ということが大前提だった。
 それが思い込みだったとなると・・・
 今後は、学校はこの件についてきちんと周知させるべきだ。そして、役員のがれのためのPTA非加入という選択を増やさないよう、きめ細かい対応をする必要がある。例えば、PTAに加入しても役員をせずに済む条件提示をするとか。
 
 また、ネット記事には、役員をすることによるメリットの方も書かれていて、確かに私はそのメリットを存分に享受してきたと納得する内容だった。もしかして、敢えて役員を引き受けることによって、他の人の利益のチャンスを奪ってしまったのかも知れないとさえ思った。それなら、今後は専業主婦でなくても出来るようなPTA活動へと、社会の現状に合わせた見直しも必須だろうと思う。
 色々なことを思い出し、考えさせられました。

 

2017年1月20日金曜日

「一粒の麦」でありたい

ボランティアで行う活動において「質」を保つための努力は不必要なのだろうか?



 これまで、母がお世話になった老人ホームで実践をベースにして、高齢者と歌を歌って楽しむ集いのあり方を自分なりにまとめ上げ、かなり明確な方向性が見えてきたと思っている。
 先日、新たな場所でのお誘いを受けたことが契機となり、そこでも出来るだけ速やかに安定した形で集いを提供できるような方向付けをしたいと考え、たとえ月に1回といえども、バックステージでの準備や当日の役割分担が必要であることをお話し、近隣で参加可能な複数のボランティアによる「チーム」の構築(募集をかける)を提案したのだが、結果的に施設の責任者が「うちではそこまで求めていない」「複数のボランティアとなると受け入れに協力する余裕が無い」との返事で、結論を言うとそれ以上は駒を進められなかった。

 私が第1に強調したのは、そもボランティアとは、誰かが誰かに何かを一方的に提供するものではなく、互いに与え合う双方向の活動であるということである。
 それは、このボランティアに参加するうちに、引きこもりを脱して初めてピアノが弾けることに幸せを見いだし、自信を付けて極度の吃音さえ克服、「卒業=就職」していったMさんが生きた証人である。
 第2に、この活動を成り立たせるために必要なのは、ピアノ・キーボードの技術だけではなく、音楽を通して高齢者と「人と人」として関係を築けるかどうか、そんな信頼関係に基づいて、集団を合目的的にマネジメントする力であること。

 私の思いとのギャップは、施設側が言う「ちょっと弾いて下されば済むことでしょ?」という言葉に凝縮されている。
 勿論、声や楽器による音楽演奏にある程度堪能であることや、歌を愛し広く知識を持っていることは必要条件には違いない。けれど技術や知識が十分条件ではないのだという話が、結局は理解して頂けなかった。単に“入居者の要望にお応えしていますよ”という施設運営側のアリバイ作りに利用されるだけだと言うことだろう。
 「そこまでは求めていない」・・・私の言っていることはそんなに高い要求だろうか?人として持つべき当たり前の敬意があったら、当然のことであると私は思う。

 たとえ音楽療法士など有資格者による治療目的の働きかけでは無くても、音楽をツールとして人間が人間を対象にすることに変わりは無い。内容論としても方法論としても、「質」を保つ努力を忘れてはいけないと思う。“カラオケで流行歌を歌うより、生で唱歌が歌いたい”と自ら希望した方たちであるならなおさらであろう。この集いを希望してこられた方たちには引き継ぐことが叶わなくなって申し訳ないと心が痛む。

 しかし、残念だけれどこれが現実である。
 私がもう少し自由自在にピアノが弾けていれば、ということと、加齢による限界がすぐそこに来ていることと・・・。協力者無しに新しい場所で展開していくパワーが私には足りない。
 ただし、物事は考えようである。「一粒の麦、もし死なずばただ一粒にて留まる。死ねば多くの実を結ぶ」という喩えが聖書にある。
 私がもし、若くて前途洋々、一人で何もかも出来る人間だったら、チームも協力体制の工夫も生まれなかったかもしれない。
 そう考えて、超高齢化社会の中で支え合って生きていく知恵のひとかけらかも知れないけれど、私は少しでも多くの実を結ぶ、麦の一粒でありたいと思うのである。

 

2017年1月5日木曜日

娘呼ぶ「ばあちゃんの洗脳日記」だが


                 (バラ:ガブリエル)


去年亡くなった母の、アルバム類と日記など入った段ボール箱が、不要品の山の中に紛れ込んでいるのを発見。慌てて軒下に移したものの、かなり傷んでシミだらけ。
 もう捨てるっきゃないな、と思いつつ、その日記を開いてみると・・・

 それは数年前、認知症の母が当時の自分の状況(見知らぬ土地で娘世帯と同居生活)を理解出来るようにと、母の立場で私が綴り、いつも母の身近に置いてあった、いわば母の最後の日記だった。
 3年連用で、その前年までは何とか浜松の自宅にいたので自力で書いていたようだが、こちらに同居してからは、記憶障害で全く書くのは無理になり、その一方5分前のことも憶えていられない不安の中にある母にとって、自分を確認する手がかりとして日記は大事なものだった。

 都合のいいことに、母と私は筆跡がよく似ていた。たとえば人の名前の脇に必ず「夫」とか「兄」とか、「ありがとうさま」「しんぱいだ・・・。」など、ところどころに母が書き込みをしているのだが、私でなければ多分見分けられないだろう。母も全く気づいていなかった。

 娘はこれを「おばあちゃんの洗脳日記だね」と言う。
 それがどういう意味かというと、たとえば以下はある日の例。

 ○月10日:今日は華子が車のナビ(道案内装置)を直しに行くというので留守番した。2時間半くらいかかって帰ってきて、疲れているところへ、私が、「壁にあんたが貼った張り紙の内容が、あまりに分かりきったことが書いてあって、私がいかにもバカだといわんばかりだ」と文句を言ったため、怒り出した。「そのわかりきったことを一日中何回も聞かれる身になったら?」と言われた。

 ○月11日:昨日華子に言われたことを考えてみる。そんなに迷惑を掛けているなら死んだ方がいいと思うが、誠ちゃま(父のこと)が「歩けるようになって帰るから待っててくれよ」と言う以上、生きていてあげなければと思う。でも、午後、老健にいって顔を合わせた時にはすっかり忘れてしまっていた。華子は誠ちゃまに新しいトレーニングウェアと下着を持って行ってくれていた。ありがとうさまでした。
 
 そしてこの最後の「ありがとうさまでした」だけは、母の字である。あとから読み返して、感謝する気持ちになったということだろう。まあそのあたりが狙い所である。

 壁に貼った「わかりきったこと」とは、たとえば父母の年齢・現在の住所・娘宅に同居中・表札の写真(娘は嫁に行ったわけではなく今も皐月姓←これはかなり大事な情報)・孫も含めた家族の写真・父の状態・・・などであり、もう自動応答マシンを使いたいくらい四六時中尋ねられる情報である。
 留守番して暇だったので何度も張り紙を見ていて「わかりきったこと」と思い、馬鹿にされているという被害妄想に至ったのだろう。しかし実際は、「分かった。今聞いて分かったからもう聞かないよ」と必ず言う。そして数分後には同じことを聞いてくる。その繰り返しなのだ。

 記憶力に自信のあった母のプライドが垣間見える事実の言動をもとに、すぐに「死んでやる」と言葉で脅迫する母の常套句を踏まえて、自然に「回復してくる夫を待っていてやろう」という気持ちにさせるよう導く操作をして、最後は「ありがとうさま」に至るよう誘導しているわけだから、「洗脳」には違いない。この日記は、私の謀略日記でもあると気づき、新たな興味も湧いて改めて読み返している次第だ。

 期間は1月1日~9月半ば、父が亡くなるまで。正確に言うと8月初旬から父母は私達の家から老人ホーム暮らしになったので毎日は書き込めなくなったのだが、ホーム入居後間もなく父が発熱して入院し、病状が悪化して天国に旅立つまで、一人で老人ホームに残されている母に父の状況を知らせる必要があり、葬儀までを書き込み続けたのである。

 そこには、忘れていた多くのことが書かれていた―― 一言で言えばホントに大変だった。

 ○母だけでなく、父も結構わがままを言ったということ。わがままというより、父の呆けも急速に進んでいたのに、私達の認識とのギャップがあったこと。
 ○ごくたまに言った父の要望に「何故?」ともっと問いかけるべきだったということ。表面的な非現実性だけにとらわれて、その発言の底にある気持ちを聞き取ってやる努力が足りなかったと思う。
 ○母がデイ・サービスに行って何をしてどんなことを言ったかの記録が詳しいのに驚く。それだけ担当者が細かい記録を届けて下さっていたのであろう。申し訳ないことにもう忘れてしまっているが。小規模多機能施設の有難さに改めて感謝した。

 まだまだ大切にするべき想い出・事実がたくさん出て来そうだ。私自身の親の介護はもう二度と無いけれど。捨てる前に、ファイルに取っておこうと思う。

  
  



2016年12月6日火曜日

My favorites 刑事・法廷ドラマ大好き人間

 TV番組で私が一番好きなのは、洋ドラ、それも刑事・捜査・法廷ドラマである。
 FOXのLaw&Orderシリーズはその代表だろう。かつてネイビー・ファイルも好きだったし、ボストン・リーガル、アリー・マイ・ラブ、ホワイト・カラー、NCISは今もシーズン14までシリーズが続いている。

 それは多分、推理小説が大好きだった母の影響だと思う。我が家にテレビがお目見えしたのは私が小学生のころだったが、番組表からお気に入りの推理・犯罪捜査系のドラマを選び出しては母と一緒に観て、結末を競って予測したものだ。
 中学生の頃は「サンセット77」「バット・マスターソン」もうちょっと後に「刑事コロンボ」、まだまだあったけど、覚えていない。

 この間の町内会の保険の問題では、無数にこういう海外の犯罪捜査や法廷での裁判の話を見てきた目で見て、損害賠償を町内会が支払うケースなど、直感的にありえないと思った。

 意図的に犯罪を犯した個人の責任でさえ、公正な手続きを経て得られた明確な証拠が無ければ起訴もできない。ましてや過失責任も含めて、ある人間への有罪を勝ち取るには大変なプロセスがあり、動機に始まり、手段、時間、その他事実のつじつまが合うまで実証していく努力が要る。

 ましてや、仮にそれが町内会という組織となれば、それを立証するのがどれだけ困難な話か。大体、営利を追求して利益がどこかと対立するような組織ではない。善意のボランティア団体なのである。どんな事故のシナリオを書けば責任の存在が立証でき、膨大な責任を追及されることになるのか、何十年とミステリー漬けで生きてきた私にも全く見当がつかない。

 そんな非現実的なケースに備えるよりも、まずは起こりうる事故に対する責任を負わされないようにする方が先だろう。被害を生じさせないこと、また起こった被害は拡大させないような対策を講じることが重要だと思う。責任を問われる時、必ずキイになるのは「予見可能性」とその対策の有無なのである。どうしてそこがわからないのか、私には信じがたいほどの想像力の欠如と映る。



 今回、この町内会でのたった一つの行事としての「餅つき大会」に当たり、私は救急箱の設置の提案と、特に高齢者に多い餅の詰まらせ事故に備えて充電式の掃除機を持ち込んだ。
 「賠償保険金を増やすより先に、予測可能なリスクに備えよ」ということを、身をもって示したつもりである。
 幸い、熱湯の運搬中のやけど、餅の処理中の切り傷、子供の転倒、色々と可能性はあったけれど、全く事故は起こらずに終了できた。それが何よりであったが、もし、起きた時に誰がどのように対応するのか、もっと皆が知恵を出し合って備えるべきだったと思うが、私以外の殆どの役員が、お金以外に考えつかなかったということに、一種の「あさましさ」を感じるのは私だけだろうか?


 
 

2016年12月1日木曜日

「シニアと歌う活動」へ新たなお誘いを受けて

 何を隠そう、私も来年の誕生日を迎えれば「古稀」となる。
「団塊」と言われる世代の真っ只中の私たちがこの年齢になるということは、ただでさえ老人が増えている日本社会に更に爆発的に高齢者人口が増えるということでもある。

 そんな風に高齢者社会になり、医療・介護・福祉サービスを適用される人が溢れている中で、音楽を使ってのリハビリを兼ねた娯楽行事、或いは日常的催しの機会も増え、その牽引役として、私が偶発的に始めた「シニアと歌う懐メロの集い」活動と似た動きをするグループは全国に無数に生まれていると思われる。
 昨日、あるご縁でやはり施設の高齢者対象に歌の集いを提供している別のグループのお手伝いとして参加させて頂いて、改めてこの活動を見直すことになった。



写真:HTバラ 「ホワイト・クリスマス」


 高齢者と共に歌を媒体として音楽を楽しむ、パフォーマンスとして「参加型」の演奏会という呼び方も出来るこの活動のあり方を考える時、何を心していくべきか、このブログを立ち上げた当初から、私は常に模索し続けてきた。私の学びを少しでも参考にして、この種の活動の平均点を上げることができたらと言うのが私の願いでもある。
 ポイントは、従前はよくあった単なる「慰問演奏」には終わらないということ、自分たちの演奏を「聴いて貰う」のではなく、「共に演奏する」ことに重点を置いたプログラムで臨むという点である。

 具体的に何をすればいいか?
 それは一口に言えば、参加者(高齢者)側を知ってそのニーズに添う、という1点に尽きる。どんな人たちで何を求めて来るかということである。
 その上で、歌については 1.選曲 2.音域 3.テンポ 語りについては 1.話題 2.深さ 3.話す技術 に留意せねば、ただ形として催しはこなせたとしても、実りの薄いものに終わってしまうだろう。
 
 過去、娘の参加したある音楽家のグループのように、打ち合わせも無くぶっつけ本番で、ミスだらけの上っ面なものでも、相手はわかりもせず、どの道喜んでくれるんだからそれでいい、という考え方もあるだろう。(2014年3月3日の記事参照)でも私は同意できない。高齢者に残された時間は少ない。その貴重な時間を私たちは共有するのである。その共有は人としての敬意を持ってなされるべきものではないか。無駄遣いでいい筈は無い。

 昨日の他のグループの活動から、新鮮に見えた良い面がたくさんあったし、また更に活動が生きてくると思われる留意点(赤文字表示)もいくつか気づいた。
 継続して係わることができそうなので、この幸運をお互いに生かして行けたらと思う。

<留意点として感じたこと>
 音域・・・上のD音、E音がたびたび出ていた。唱歌は基本的に児童・生徒世代の声域の高い時代に向けて書かれたものなので、声域が狭まりかつ低くなった高齢者に、原曲の調で歌わせるのは無理がある。仮に移調して最高音が上のCくらいまでに抑えれば、もっと歌えるはずだと思う。
 テンポ・・・日常的に歌っていない高齢者が歌う場合、1音出す(声帯を合わせる)のにも時間がかかる。発声練習では、16分音符でドレミファソファミレド、ではなく、2分音符でドーレードーとかドーミードー、などをじっくりゆっくりするのが適当と思う。「かえるの歌」をゆっくり歌うのもいい。 
 話す技術・・・声の大きさが不足していて耳の遠くなった高齢者へのケアが足りないと思う。(騒がしい子供には逆に小さめの声で、と言うが)また、早口で多くの言葉を言い過ぎる。繰り返しも多い。情報を整理して言葉数はできる限り少なく、ゆっくり、はっきり発音して1度で確実に伝えることに気を付けたい。


 感心したのは一つ一つの歌について、作られたり発表された年などの背景を実に詳しく調べてこられ、解説をつけて歌っていられること。また、いきなり与えられた「ボケます小唄」及び「ボケない小唄」と称する替え歌の歌詞を、お座敷小唄のメロディーに載せて歌うことが、練習も無く出来てしまったということ。
 これは施設自体が入居者対象を「介護を要せず自立した高齢者」に限っていること、そのような頭がかなり健康なご老人たちばかりが相手だからこそである。こういうことは、殆どが要介護の方々で占められている私の活動拠点施設ではできない。やってもその時間はお互いの思いがすれ違ってしまうことだろう。

 私自身、5年前に始めた当初、童謡・唱歌を今よりずっと多くして思い切り易しいプログラムにしていたつもりなのに、それでも施設側担当者に「貴女の選曲は難しいと思う」と言われた覚えがある。スタンダードな歌集に酒席で歌うような演歌を入れるべきか、あるいは母の好きな女学校で習った外国曲を入れるか否かで迷ったことも一つの経験としてある。何をもって難しい/易しいとするか、良く考えれば主観に左右されるということでもある。最後は私の「自分らしさ」に帰ってくる話であると割り切っている。

 その後、施設が住宅型から介護付老人ホームへと改変されたり、度々施設長も担当者も交代してそのたびに受け入れる入居者の要介護度・認知症の重症度も微妙に変化して来た。リクエスト曲も様々であるし、それに添って歌いながら・弾きながら・聴きながら、毎年のように選曲を見直してきているのが現実である。反応を見ながらやっていくと、自然にそうならざるを得ない。

 いずれにしろ、今回の新しいお誘いによって、「相手を良く知ってニーズに添う」 ということを再認識させられた。

2016年11月24日木曜日

付記あり・自治会活動保険<続き>

 日曜日、また町内会の役員会があった。



 10月の役員会で、自治会活動保険の契約について、「現状の傷害保険(死亡300万/入院日額2000円/通院日額1000円)を維持し、支払い保険料総額を現状の1割増以内に納めることを条件として賠償金額を現在額3億から増額を認める」と結論づけたことについて、私は敢えて異議を申し立てた。
 
 まずは、この件に関する討議自体の不備について
1.結論を急いだ・・・会計支出に係わる問題を、問題提起して同日に結論づ
  けるのは不適切。
2.情報不足・・・多くの役員が詳しくないテーマに、会長の得た情報のみで
  判断を迫られた。
3.討議手続き上の不備・・・異論を問うことも無く、採決もせず、段階を経て
  結論に至っていない。

 特に、情報不足ゆえに疑義、異議があっても発言する自信も無く、結論を急ごうとする議長(会長)の意図に添って、採決らしい採決も無く結論に流れていってしまったことを、議事録係として自分も反省している、というところからはじめ、この1ヶ月、自分なりに調べたり詳しい人たちのアドヴァイスも受けて、前回の結論への疑問が生じているので、一度全ての役員に聞いて貰いたい、と提起した。

 以下については、発言の許可を貰った上で、個人的異議として次のように話した。

1.賠償金額の増額には疑問である。

 ・確かに「権利能力無き社団の損害賠償はその構成員が担う」というルー
  ルは法律上存在し、町内会は法人格を持たない「権利能力無き社団」
  に該当し、役員個人が「その構成員」に当たる。調停委員に確認。
 ・ただし、それはあくまで町内会が組織として責任賠償を負う事態に陥っ
  た場合の話である。このような善意の一種奉仕団体で、行事として餅
  つき大会ただ一度しか行っていないような状況下、3億(市の保険と合
  わせれば5億だった)の賠償額でも不足するほど莫大な金額に値する
  ようなどんなエラーを犯せるものか?あまりにも飛躍したリスク想定。
 ・掛け金が僅かであるからと言うが、保険金に対する保険料の料率とは、
  保険業界が、過去何十年という実績に基づいて算出している。賠償金
  額の保険料率は0.0001、傷害保険の料率の100分の1である。これは
  つまり、殆ど支払う可能性が無い、ただの契約者の安心料、捨て金に
  過ぎない。保険料が安いからと増やしたところで全くの無駄。
 ・しかも、この増額の目的は何か?役員の個人資産のリスク回避では
  ないか。どんなに少額であっても、町内会計からの支出で支払うのは
  不適切ではないか?
 (保険屋のアドバイス:個人資産が心配なら、各自入っている損害保険の
  特約で個人賠償を”無制限”で設定して掛けておけば良い。それこそ自
  腹で、いくらでもないから。)

2.傷害保険をより充実させるべきである。
 ・「傷害保険は我々役員のためのものである」という会長の説明には重大
  な誤認がある。この保険の契約者はこの地区の町内会である以上、被
  保険者は住民全てであり、役員か非役員かは問題では無い。
 ・事故に際し傷害保険部分こそ、この保険契約の要の役割を担うことを見
  落としている。
 ・賠償とは違い、事故原因が何にあり誰の責任かを問わず、あくまで被
  害に対して支払われる。
 ・ある保険会社のモデルプランでは、損害賠償の1割の傷害死亡金額を
  設定している。これに当てはめると、賠償3億なら傷害死亡は3千万と
  なるが、実際は300万で10分の1に過ぎない。
  入通院も含めて、あまりにも住民のリスク軽視ではないだろうか。
 (保険屋のアドバイス:契約者の考え方次第で設定する。傷害の実際は、
  死亡や入院するような大きな事故はこの種の団体では殆ど無く、ちょっ
  とした怪我で通院というケースが殆どである。また、住民全員に365日
  の補償をつけるというより、行事のある1日だけ、とか、ある役割の人だ
  けにスポットで掛けることが傷害保険では可能なので考えてみては?)

3.(提案)判断を助ける、法律顧問のような人を設置してはどうか
  これは議長である会長が偏った考えを持った場合の会全体のリスクを
  思い知ったから。

 以上の内容で発言して、会長が「傷害は無くてもいいと言ったのはあくまで市の保険があるという前提のもとの話だ」「傷害を増やせっていうのはあるかもしれない」と言うところまでは聞いて、残念ながら退席しました。
 この日、実は近隣の市の音楽祭が開催中で、午後、合唱団の一員としてステージを抱えていたためです。本当はこの保険の問題が無ければ、すっぱり欠席していたんだけれどなぁ。

 午前中は町内一斉清掃だったし、充実してはいたけどすごく疲れた一日でした。
 本当は合唱の打ち上げ会にも参加するつもりだったんだけど、さすがにそれはキャンセルして、演奏を聴きに来てくれた家族の運転する車で真っ直ぐ帰路につきました。

 合唱の出来はイマイチだったし、何だか「楽しい」といえることは殆ど無かったような。
 骨折り損のくたびれ儲け、とまでは言わないけれどね。私らしい一日、ってことで。

<12月5日付記>
 結局、私が退席した後、この会では私の提起は「間違いである」とされ、却下となったとのことです。

 責任賠償保険を増やすのは役員だけを守るのでなく(役員は住民が回り持ちするのである以上)全住民のためでもあるから、という理由だそうです。だからそんなことになる可能性がいかに低いか、寧ろ傷害保険が薄いとどれだけ住民皆にとってリスクになるかっていうことをあれだけ言ったけど、結局わからないのね。
 私に言わせればそんなのは「屁理屈」ですが、皆が私の話を聞きいた上で討議した結果そういう判断をしたなら、致し方有りません。どうしようも無い人たちだと思いますが、これ以上言っても無駄だから放っておきます。
 






2016年10月27日木曜日

何なの、うちの町内会って・・・

だぁれも、何にも意見言わない。
のっぺらぼうみたいな、つかみ処の無い人ばっかりだぁ~~

7月に続いて今月の定例役員会も議事録作りの当番なんだけど、いい加減、嫌になってきた。

今月は、会長がちょっと理解に苦しむ提案をしてきた。
町内会として、年間9万なんぼの保険料を払って自治会活動保険に入っているんだけど、その中の責任賠償のところだけを、もっと増やしたいと言い出した。

周りの町内会はせいぜい1億円なんだけど、うちは3億入ってて、普通はこの種の契約としては限度額いっぱい掛けてあるのに、更に別立てにして5億にしたいって言うのね。
なんとなれば・その心は・・・
「訴訟になって損害賠償請求されて、もし足りなかったら我々役員が自腹切って払わねばならなくなる」からだそうな。

しかも、町内会活動中に事故があった時、自分たちを守る傷害保険部分は、現在の300万から減らしても構わないって言うの。保険料高いから、そんなものはそれぞれ個人で入ってるでしょ、だって。何言ってるの?日常普通に生活してたって事故は大小いくらでもある。一種ボランティアで働く中で何があるかわからないのはこっちです。

万一活動中に働き手に怪我されたら?死んだら?300万なんて吹けば飛ぶような金額でしょ?それをゼロにしてもいい?この会長ってどういうリーダーなんだ?ロイヤリティめっちゃ下がるよね。そんなんで役員にどの面下げて働いてくれって言えるのよ!ってだんだん議事録のための録音聴いていて腹が立ってきた。

自治体が自動的に加入してくれてる無料の保険も賠償額6000万/一人まで出るっていうのに。
3億6000万でもカバーできないほどの損害を与えるような大ポカなんて・・・どれだけ大博打やるつもりなのって思わないんだろうか?非現実的過ぎる。

事故は往々にしてある。だから町内会主催の催しでも例外では無い。だけど、それがどうして即・町内会の賠償責任云々に直結しちゃうんだろう?

事故っても、それが町内会として償わ無くちゃならなくなるまでに、どれだけの「もしも」「万一」があることか、想像してみればいい。確率的に限りなくゼロに近い。だから傷害と賠償とでは保険金額に対する保険料の割合が100倍違う。それだけ傷害は保険を使う率が高いってこと。保険会社は一番よく知ってるから。

たとえば、唯一のイベントである餅つき大会。これだけ綿密に計画を立てて許可取って、事故無く出来るよう知恵を絞っているのに、ガス爆発?そうしたら、誰の責任か、刑事でまず調べられて、原因調査されるよね。絶対、町内会じゃないはずだし、仮にそうだったとしても故意だなんて考えられないから、刑事罰だって過失で裁かれる。

もともとそんなつもりじゃ無いんだから失敗が有れば認めるし、めいっぱい償おうとするだろうし、そうしたら民事訴訟になる前に解決するよねどう考えたって。

それでも何だか被害者を追い詰めちゃって同じ住民同士なのに訴訟起こされて、裁判でも負けて、とうとう賠償金払わされることになった?
そこで3億6千万でもたりない事態?

いったい何をやったらそんなに請求されるの?列車への置き石くらいじゃないの?
いい加減にしてよ、って言いたい。

誰も何にも言わないで、会長の「自腹ではとても払えない金額になるから」って脅しみたいな決め台詞に一緒になっておびえて・・・なっさけなぁ~ぃ、私の頭が大噴火中。

町内会なんてね、そんな大層な賠償させられるような事業なんて何一つやってません!
そんなこと言ってると、来年から役員のなり手いなくなっても知らないから・・・









2016年10月5日水曜日

また、嫌みなこと言ってしまったかもしれない

 今日は久しぶりに合唱ネタである。

 私たちのコーラス・グループは、アマチュアの寄せ集めだ。だが、歌が好きで集まっているお楽しみ会からは一歩出て、芸術としての音楽表現に少しでも近づこうと、かなり真面目に取り組んでいる。この地域でのそうしたグループとしてはトップの実力だと思う。これには指揮者の持つ音楽的な質の高さが大きく左右する。伴奏者も申し分ない能力の持ち主である。

 それだけに最初は体操(ストレッチ)に始まり、発声と併せて新曲の場合はパート別の音取りまで1時間くらいかけて予備練習があり、その後、本命の指揮者が登場して2時間みっちり指導する。
 ちょっと複雑な曲は、必ず各パート別に音取りCDが用意されるので、カラオケ状態で自宅でも練習できる仕組みになっている。
 音が取れることは大前提で臨み、「どんな声でどう歌うか」を練習するのである。
 最近は要求する声音を出すために、指揮者が個人指導までしている。それだけ、要求するものが高いレベルにあるのだろう。ある意味、恵まれている。

 しかし、そんな中、音大卒のK君が2週に一度くらいの割でこの準備体操と発声指導を任されて出てくるのだけれど、その指導がまことにお粗末なのだ。
 一言で言えば、彼の演説が9割。同じ箇所をせいぜい2回歌って終わる。
 体操でも6割しゃべって4割身体を動かすだけかな?こちらはしゃべりながら動かせるから、少しはいいが、いちいちその動きはどんな意味があるか、毎回毎回同じ説明をする。

 この間のパート練習の時も、延々と歌のフレーズの解釈を聞かされ、実際に歌うことがほとんど無かったので、私はとうとうキレた。彼のその箇所の歌い方どうこう、どんなに素晴らしい講釈を聞いたって、それを聞けば上手になるのか?そんなものが練習か?

 先生はどうするか?確かに「こう歌え」と指示はする。曲の解釈に戻って説明する時もある。でもその後、繰り返し繰り返し、実際に求める歌い方が出来るまで何度でも歌わせるのだ。必ず、歌う、歌わせて聴いて、評価を加えて、定着するまでまた歌わせる。
 その時に十分に出来なかったところに挑戦するのがパート練習なのに、この坊や、何考えてるんだ?音大の大学院を4回も落っこちてるって噂の、実力も無い若造が。

 そんなの、「ムンテラ」ではないか?
 ムンテラ、おまじない。医者が口先で慰めを言って治せていないのに治したような気分になること。難病の告知の仕方に疑問を呈した医学生に、教授が「ムンテラの奢りは無いか?」と言ったという話が今なぜか蘇った。

 「引っ込め!」と言いたいのをこらえて、「Kさんの説明解釈は十分聴いたけど、もっと歌いたい」と言ってやった。団費から何か彼に指導料払ってるなら、それなりのものを要求する権利があると思う。こんなお粗末な「指導もどき」に、1円だって払えるか!そう思っている。

 さすがに直接そこまでは言えなかったが、役員にぶちまけてしまったのだ。当然ながら後味が良くない。どうして私ってこういう嫌な役回りになるのかな?


写真 
ソラナム(別名ツルハナナスorヤマホロシ)

 

 

2016年9月5日月曜日

出来ました、私だけの薔薇物語

 コーラスのお友達で同じアルト・パートの、恐らくは最高齢の方がいらっしゃいます。
 その方のお姉さま(93歳)が、治療の難しい癌に侵され、それでも放射線治療に挑んでいられると聞きました。
 
 お姉さまはガーデニングもお花も大好き、この春、妹さんが我が家のバラ見にいらしたことをとてもとても喜んでくださって、その時の写真をお見せしたら離さなくって、仕方がないから「あげないわよ!預けるだけだから」と言ってベッドの枕元に置いてきたのだそうです。

 その話を聞いて、にわかに「やる気」が出てしまって。
 2年前に作り始めて途中で挫折して放り出してあったアルバムをついに完成させました。
 
 薔薇育てを初めて10数年、あちこちに転居したのでその度に新しい品種に挑戦した結果、品種としては200種類近い数のバラと関わりました。そのうち、まともな写真が残っているもののみ集めて1品種に1ページずつ、品種の客観情報とともに自分で写した画像と思い出のコメントを付けて。まだこれから導入が決まっている品種もあわせると174品種です。これに表紙と、前書きと後書きを付けてできあがり。
 元本は台紙に入れて上下2巻のアルバムになりました。
 でも、それでは重いので、コピーしてポケットファイルに入れたものを、「お姉さまのお見舞いに」とプレゼントしました。

 下の写真↓は、何人か別のお友達にあげた、約半分の80ページ分に縮めたセレクト版の表紙です。



 中身はこんな感じです。

 




 そして、これは、後書きに使った写真。

 


 
 一口に「バラの写真集」と言っても期待以上だったようで、かなりビックリされました。

 以前の記事でも書きましたが、コーラスのお友達の息子さんからは「これは貴女の人生の卒論ですね。」と言われました。
 そうか、じゃあ、「卒業」しちゃったら次に私は何したらいいのかしら・・・? 
 もうこれ以上、することなくなっちゃう?なんて。

 いえいえ、まだこれから咲かせて、一番いい時のお顔で、写真を残さなきゃいけない白紙のページも残っています。
 少し気難しい子も迎える予定なので、消毒や剪定など、まじめに?もうしばらくはこのままバラ狂いを続けなくっちゃ、と思っています。

 でもでも、いい加減に昼間涼しくなってほしいですね。

 

2016年8月14日日曜日

映画になった「森山中教習所」を観て

驚いたなぁ~

あんなに地味な漫画を、映画化しようと考えた人たちの情熱には、つくづく感動する。
しかも、本当にやっちゃって、それがこんなに原作アニメの世界を忠実に実写で表現できたこと、

「あー、これ、良かったね」
「うん、良かった!」
という会話が交わされる作品に仕上がったということ・・・

みんな、みんな、驚きだ。

上映は1ヶ月程度で打ち切りになっちゃったけど、まあしょうがないね。
わはは!って笑える箇所は一つもない、せいぜい「クスっ」とする程度。

<以下は朝日新聞7月8日の評の書き出し部分> 
 ドラマチックな物語展開で見せる映画でも、青春の悔恨や勝利感で感動させる映画でもない。それぞれの人物が背負う、互いに異なる空気感と、その一瞬の交差が見せる化学反応を繊細にすくい取っていくことで、観客を引っ張り続ける映画だ。

洋アジサイ・ファントム

夫は原作の良さ・味わいが全然わかんなかったけど、映画のおかげでちょっとわかった。でも、
「これって、文学で言えば純文学だね。一般受けするはずないよな」と言う。

映画評に原作者の名前は全くでてこないけど、この漫画描いたのは私の甥っ子なのである。
ちょっと自慢。


2016年8月9日火曜日

わが人生の卒論?

今日の暑さは異常だった。

朝から何にもする気力が無くて、ぼーっとしてたら、ピンポ~ンが鳴って、宅急便でSweetsが届いた。お友達にあげた自作の薔薇アルバムのお礼のつもりらしい。
ちょっと目が覚める。

早速お礼の電話をしたら、息子さんが出てきて、お友達はそのアルバムを届けに●●●の病院まで出かけていると言う。そうだ、そもそもあのアルバムは、花好きの彼女のお姉さん(93歳)がガンで闘病中と聞いて、その方のお見舞いにと複製を作ってあげたのだった。
毎週日曜日に病院に行くと言っていたから、それまでは彼女ご自身で楽しんでくださればと思っていたのに、それまで待てなかったのか、この暑いのに電車であんなに遠くまで出かけて行ったとは・・・大丈夫かしら?




息子さんは、私たちのことを良く聞いていられるらしく、「僕も拝見しましたよ、薔薇の論文」「あれは皐月さんの卒論ですよね、僕そう思って読ませていただきました」なんて言う。
そして、写真は花の好きな人が撮ったからとてもいいし、添えた文章も引き込まれるとほめてくれた。最後に一言、
「下巻もお待ちしていますから」
ゲ、ゲ、ゲ、下巻!? うわぁぁぁぁ!

確かに彼女にあげたのは上巻。
そして、「下巻もいずれ行くので、お姉さんと取り合いっこしないでね」と、メモっておいたのも確か。
でもね。
上巻はもう完成していたのでプリントアウトすればいいだけだったんだけど、下巻の方は、まだ各品種ごとに使う写真の選定が済んでいるだけで、エッセイ部分は書き上げていないページが大量にある。つまりまだ編集中、複製しようにも原本が未完成なのだ。

わ、私だけの卒論だったのに、「ASAP」っていうデッドラインが出来てしまったってことなのだ。
今度こそ、パッチーン、と目が覚めた。

ていうわけで、今日は一日中、パソコンにかじりついていました。
まあ、イラつく議事録は完了しているし、それに比べたらはるかに幸せな作業ですけど。



2016年8月4日木曜日

我慢大会

 関東でも梅雨明け宣言がされて以来、ほんの数日だが30℃を超える日が訪れるようになった。朝から暑くて、庭仕事も軒下の鉢植えへの水やり程度で済ませている。梅雨冷えの頃とは違ってそんな時はウワっと藪蚊が寄って来て、一瞬でも油断ならないのには閉口する。 



 ところで・・・・愛犬コロは、未だに行方がわからない。
 この10年、いつもいたものが居なくなるって、こんなに寂しいものかと改めて思う。
 コロの情報を求めて、毎日サイトのチェックをして、心は県内を駆け巡っている感じだ。

 一方では町内の自治会で、猫の被害が甚大だとして今月も話題に上り、近くの公園沿いの道では車による轢死の話が語られていてドキドキする。コロもそんな1匹になったのかもしれない。
 皮肉なことにコロ行方不明のチラシを作っても私的な問題で町内会の回覧にはできないそうで、それでも町内会の役員なので議事録を作成せねばならない。なんとなく釈然としない。

 それだけではなく、会長は要点をレジメに整理もせずにダラダラと喋り、しかも採決の要となるキイ・ワードを言えない。せいぜい「これでいいですかねー?」である。返事のしようもないで一同沈黙していると、また聞いたような説明を延々としゃべる。

 「私からは以上ですがご質問は?」
 「他の方はこの件どう思われますか」
 「私はこの方向で行きたいと思いますが、異議のある方は?」
 「ご意見は出尽くしたとみて決をとってよろしいでしょうか?」
 「それではこれを結論とします」etc.etc.

 会議を前に進める言葉が無い。議長の役割がわかっていないみたいだ。

 さらに、携帯もインターネットも一切やらないで部長になった勘違い爺さんが一人。
 自分の愚痴と、あれ、これ、それの指示語ばかりが優先するから、呆気にとられ何言ってるか全然わからない。この、会長を敵対視するウジウジ爺さんと会長のやり取りだけで会議は長引き、半分くらいこの人たちの発言で、中身のない無駄な時間ばかり喰っている。2時間で終わるはずが前回は2時間40分かかった。

 時々、議事録のための録音を聴きながら叫んでいる。
「そんな話を今更蒸し返して、何になるのよ!」
「なんで、会長をフォローして流れを変える人がいないの?腰抜け男どもめ!」

 短気な私にとっては、ほとんど我慢大会なのである。
 正直言って心にも体にも悪い。
 次回は、記録当番じゃないからもっと言ってやるぞ!と思っている。



           写真:見事な穂になった、百日紅「淡桃清」

2016年7月29日金曜日

この子を探して!

この子を探しています


自宅は千葉県佐倉市。

いなくなってからもうすぐ1か月になろうとしていますが、全く痕跡がありません。

黒の柴犬純潔種、通称コロ。男の子で去勢済み、もう10歳です。

柴としては小柄で8~9キロかと思います。

一昨日、facebookに、松戸で保護された黒柴がいるとの情報があって、もしやと希望を持ったのですが、よくよく見ると違う犬でした。
誰とでもフレンドリーな子だから、連れて行かれちゃったのかしら・・・

コロ、帰って来て!みんな待ってるよ!



2016年7月5日火曜日

「やくもたつ」っていうバラって役に立つ?かな。

どうもバラ・カタログを見ていると自制心がマヒする私。
またまた、大好きな淡紫色の剣弁高芯咲きの写真にイチコロになった。

(あ、でもこれ、良く見ると高芯じゃなくて平咲きかもしれません。)
 

けど、変な名前。 やくもたつ???寺西菊雄さんの作出。

ネットで検索したら、「八雲立つ」とわかった。

  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

日本書紀に載っている「壮大な寿ぎの歌」の一節から名付けられた模様。
ま、新苗だからまだまだ咲くのは先の話です。それまでお楽しみに育てませう。


さあて、何年か前から探していた藤桃色のサルスベリなのだけど、
このたびとうとう本命を見つけました。



品種名は「ディア・パープル」と申します。
これまで探して探して、10本近い数の百日紅を買う羽目になりました。

近頃ヒマで?よく庭仕事をしている天敵が、
「うちってなんでこんなに百日紅が沢山植わってるの?」と聞くから、
「欲しい色じゃなかったから」って答えていましたが、今度こそ打ち止め、のはず。
これで違ったら、諦めます。そう洗顔(汗)、いや宣言しておきます。


そうして、最後は悲しいお話。
コロが・・・家から脱走したきり行方不明になってしまいました。
血統書付の黒柴、「宮の錦号」なんですよ。



庭で放し飼いにしているのですが、犬エリアのゲートを締めた「つもり」が、あとで見れば半開き状態。
宅急便が来たので急いで出たのが失敗でした。
その上、車庫の入口も締め切らずにお向かいさんと立ち話してたら、ヤツが目の前を通り抜けて行きました。7月1日の昼過ぎのこと。

これまでだったら、2時間もしないうちに帰って来ていたのですがねぇ・・・
徒歩、自転車、車で、ずいぶん探し回りましたが、5日もたっても全く消息不明なのです。
心配で始めの晩はよく眠れませんでした。もしかしたら、と、見に行ってみたりして。

警察、動物愛護センター、保健所の3か所に届けを出しています。
コロ、どうしちゃったの?
もう10歳、あの日は異常に暑かったから熱中症にでもなったのかも。

これまでも時々あるけど、出ていくときは「ダメ!」って言っても、帰った時には叱らないで迎えてあげるようにしているから、絶対に帰ってくるはずなのに・・・「どんなもんだい!」って顔で。

届けを出したとき、
「まだ3日しか経っていません、諦めずに探しましょうね!」
と、言ってくれた保健所の職員さんの言葉が身に沁みました。

娘に「お父さんもお母さんも、もうお歳だから、これから新しくは犬も猫も買うのやめようね」って引
導を渡されました。(😢)



2016年6月25日土曜日

音楽療法についての講演を聞いてきた

 水曜日、母校の心理学専攻卒業生が中心になって立ち上げ育ててきたカウンセリング研究会グループの、受講生向けワークショップに参加してきた。

(画像:ユリ・トライアンフェータ)

 実は私はこの研究会に所属した時点ですでにボランティアをいくつか掛け持ちしていたこともあって、この会の主目的であるカウンセラー養成に直結する講座にはほんの少ししか出席できず、従って厳密に言えばこうした講演を聞かせていただく資格すら満足に得られていないのだが、友人のちょっとした思い込みのおかげで?会費を払い、ずうずうしくも出て行っては毎回質問や感想を発言までさせていただいている。前回は前回で「母性という名の神話」がテーマだった。

 もういい加減にしゃしゃり出るのはやめようと思っていたのに、今回はテーマが「音楽療法」とのこと。しかも講師は高齢者へのそれを長年実践してこられたと聞いて、自分の懐メロの会の実践とも極めて近いのでお話を聞きたいと思った。

(画像:ニワナナカマド)

 1時間半の講義とワークとを終えての感想としては、いくつかは長年の実践に基づく貴重なポイントが示されていたのだが、失礼ながら、講義としての流れがよく見えず、少々まとまりに欠けるお話だったように思う。おっしゃりたいことは大体わかったけれど・・・

 勿論、大切な高齢者の時間を、共有するという形で「奪う」ことになる活動であるから、それが認定カウンセラーや認定音楽療法士など社会的に資格を認められた方であろうと私のように只のボランティアであろうと、真摯に向き合わなければいけない点は全く同じである。

  「あくまでも主役はこちら側ではなくクライアント」であるということ。そして「一つの音/音楽への感じ方は一人ひとり異なるものであり、反応も様々だ」ということ。さらに「結果(効果)を評価する明確な基準も尺度も存在しない」ということの重み、というか複雑さが、音楽療法という行為や療法士を定義づけたりオーソライズ出来なくしているという現状が良く分かった。

(画像:アジサイ・クララ)

 身体的、精神的に障がいのある人々・高齢者・旅立とうとしている人々にとって、音楽療法とは、医療なのか教育なのか福祉なのか、そも、一体何なのか。そこが日本においては国家資格として認められない大きな要因となっているという。改めて考えさせられた。

 「音楽は手段の一つであるし万能ではないということを、いつも肝に銘じています」と彼女は言う。
けれども心を和ませ開かせ通わせる手段として、非常に大きな力のあるツールであるということに関して、参加者からも次々に体験談が語られた。まだまだ研究半ばかもしれないが、手探りであっても、一人でも多くの有志がこうした活動に参加し、持てる力を注いでいってほしいと思う。

   「ここで歌わなかったら、二度と出会わない歌に出会えたよ」
   「昭和の歌と共に生きてまいりましたので」
   「どうして涙が出るかわからないけど涙が出るの」

 と、涙を流し、私の手を取って離そうとしないかたがた。
 無数の「有難う」を頂いてきた。
 そればかりでなく、

   「先生、私、ピアノが弾けて良かったと思えました。今、幸せです」
   「あんなに遠い目をして・・・何を思って歌っていられるのかと思うと」

 提供する私たちの胸にも、セッションの度に大きな感動を貰える。いや、提供とか供給とかいうよりも「共有」という言葉こそが相応しい。

 この活動に参加するまでは、重度の吃音のため友人はおろか教授からさえハラスメントを受け、音大を中退に追い込まれた閉じこもりの娘さんがいた。3年を経て、すっかり脱却してストレスなく話せるようになり、職を得て「卒業」していくまでになった。
 
 音楽のちから。

 万能ではないけれど、確実に何かをもたらすもの。


 

 

2016年6月16日木曜日

「紅不二」の苗を見つけてしまって

日陰に居てもぐったりするような日が二日ほどあって、「いよいよ夏到来」と覚悟したのに。
な~んだ、雨ばっかりじゃない。
なんと、梅雨入りしていたんだ・・・ボケてるの?わたし。

いえいえ、空梅雨だからいけないのよ。梅雨ってものがある事忘れちゃってたもの。


バラが一段落したら、追いかけるように透かしユリやアジサイが咲き始めて、
庭がまたにぎやか。



 そして、近くのホームセンターでは、ニガウリやキュウリやトマトの苗がひしめき合い、バラ苗
はバーゲン価格になって大分経つ。
 「もう買わないぞ」と思いつつ、やっぱり横目で品種名ラベルに目が行く。

 私の今年の誘惑は「紅不二」というオールド・ローズ。フラウ・カール・ドルシュキの枝替わりである。蝶が舞っているような華やかな花型の大輪でツルとしても使える。もとは真っ白だけど、赤の枝替わりは「艶姿(あですがた)」と呼ばれ、ローズピンクのものは「紅不二」と言う。
 似た感じの色の花を挙げるなら、この↓「マヌウ・メイアン」。でも形はもっと独特の派手さがある。



 この「艶姿」の見事なオベリスクが千葉市内のバラ園芸会社の看板替わりになっているのを見て、前から気になっている品種だった。当主の話を聞いたら、福島原発からわずか4キロの双葉バラ園(多分、原発事故がなければ、日本一のバラ園だったはず。)から貰った株だと知ったこともあり、しっかり名前が脳にインプットされていた。

 実は個人的好みの問題で、艶姿より紅不二(ドルシュキ・ルブラ)の方が好みだった。その紅不二が、新苗ではあるが3桁で買える?が~ん!である。
 一旦は素通りしたのだが、家に帰ってバラ図鑑で確認し、コロッと落ちた。だって、惚れてた品種に、二度と出会えるかわからないもの。
 オールド・ローズが、私のズボラ栽培にどこまで適応してくれるかはわからないけど。

(アジサイ:ウェディング・ブーケ2年目です↑)

 さて、次の日曜日は懐メロの例会だ。
 6、7、8月は「夏のうた」。34曲だったサイド・ブックの曲を40曲に増やし、また終戦記念日前後用に入れていた軍歌3曲に撤退願った。代わりに「禁じられた遊び」や「泉のほとり」などの外国曲で反戦の思いは歌えると思う。
 ただし、「サトウキビ畑」だけは残す。これを歌うと必ず皆涙するから微妙なんだけれど・・・

 花もさることながら、新たに増やした曲をお年寄りむきに音を低く下げて歌えるよう、移調した伴奏譜作りに追われていた。
 いや、正直に言うと、移調だけではない。もしもの時には自分でも弾けるよう、難易度を下げた楽譜であることも必須(汗)。何を隠そう私のピアノ技術なんてバイエルに毛が生えた程度なんだから。

 てわけで、良く考えたら雨で花いじりができなくて良かったのだ。

 楽しく、そしてしみじみ、今月も歌って過ごして来ようと思う。

 柏葉アジサイの白が華やかです。