2016年12月6日火曜日

My favorites 刑事・法廷ドラマ大好き人間

 TV番組で私が一番好きなのは、洋ドラ、それも刑事・捜査・法廷ドラマである。
 FOXのLaw&Orderシリーズはその代表だろう。かつてネイビー・ファイルも好きだったし、ボストン・リーガル、アリー・マイ・ラブ、ホワイト・カラー、NCISは今もシーズン14までシリーズが続いている。

 それは多分、推理小説が大好きだった母の影響だと思う。我が家にテレビがお目見えしたのは私が小学生のころだったが、番組表からお気に入りの推理・犯罪捜査系のドラマを選び出しては母と一緒に観て、結末を競って予測したものだ。
 中学生の頃は「サンセット77」「バット・マスターソン」もうちょっと後に「刑事コロンボ」、まだまだあったけど、覚えていない。

 この間の町内会の保険の問題では、無数にこういう海外の犯罪捜査や法廷での裁判の話を見てきた目で見て、損害賠償を町内会が支払うケースなど、直感的にありえないと思った。

 意図的に犯罪を犯した個人の責任でさえ、公正な手続きを経て得られた明確な証拠が無ければ起訴もできない。ましてや過失責任も含めて、ある人間への有罪を勝ち取るには大変なプロセスがあり、動機に始まり、手段、時間、その他事実のつじつまが合うまで実証していく努力が要る。

 ましてや、仮にそれが町内会という組織となれば、それを立証するのがどれだけ困難な話か。大体、営利を追求して利益がどこかと対立するような組織ではない。善意のボランティア団体なのである。どんな事故のシナリオを書けば責任の存在が立証でき、膨大な責任を追及されることになるのか、何十年とミステリー漬けで生きてきた私にも全く見当がつかない。

 そんな非現実的なケースに備えるよりも、まずは起こりうる事故に対する責任を負わされないようにする方が先だろう。被害を生じさせないこと、また起こった被害は拡大させないような対策を講じることが重要だと思う。責任を問われる時、必ずキイになるのは「予見可能性」とその対策の有無なのである。どうしてそこがわからないのか、私には信じがたいほどの想像力の欠如と映る。



 今回、この町内会でのたった一つの行事としての「餅つき大会」に当たり、私は救急箱の設置の提案と、特に高齢者に多い餅の詰まらせ事故に備えて充電式の掃除機を持ち込んだ。
 「賠償保険金を増やすより先に、予測可能なリスクに備えよ」ということを、身をもって示したつもりである。
 幸い、熱湯の運搬中のやけど、餅の処理中の切り傷、子供の転倒、色々と可能性はあったけれど、全く事故は起こらずに終了できた。それが何よりであったが、もし、起きた時に誰がどのように対応するのか、もっと皆が知恵を出し合って備えるべきだったと思うが、私以外の殆どの役員が、お金以外に考えつかなかったということに、一種の「あさましさ」を感じるのは私だけだろうか?


 
 

2016年12月1日木曜日

「シニアと歌う活動」へ新たなお誘いを受けて

 何を隠そう、私も来年の誕生日を迎えれば「古稀」となる。
「団塊」と言われる世代の真っ只中の私たちがこの年齢になるということは、ただでさえ老人が増えている日本社会に更に爆発的に高齢者人口が増えるということでもある。

 そんな風に高齢者社会になり、医療・介護・福祉サービスを適用される人が溢れている中で、音楽を使ってのリハビリを兼ねた娯楽行事、或いは日常的催しの機会も増え、その牽引役として、私が偶発的に始めた「シニアと歌う懐メロの集い」活動と似た動きをするグループは全国に無数に生まれていると思われる。
 昨日、あるご縁でやはり施設の高齢者対象に歌の集いを提供している別のグループのお手伝いとして参加させて頂いて、改めてこの活動を見直すことになった。



写真:HTバラ 「ホワイト・クリスマス」


 高齢者と共に歌を媒体として音楽を楽しむ、パフォーマンスとして「参加型」の演奏会という呼び方も出来るこの活動のあり方を考える時、何を心していくべきか、このブログを立ち上げた当初から、私は常に模索し続けてきた。私の学びを少しでも参考にして、この種の活動の平均点を上げることができたらと言うのが私の願いでもある。
 ポイントは、従前はよくあった単なる「慰問演奏」には終わらないということ、自分たちの演奏を「聴いて貰う」のではなく、「共に演奏する」ことに重点を置いたプログラムで臨むという点である。

 具体的に何をすればいいか?
 それは一口に言えば、参加者(高齢者)側を知ってそのニーズに添う、という1点に尽きる。どんな人たちで何を求めて来るかということである。
 その上で、歌については 1.選曲 2.音域 3.テンポ 語りについては 1.話題 2.深さ 3.話す技術 に留意せねば、ただ形として催しはこなせたとしても、実りの薄いものに終わってしまうだろう。
 
 過去、娘の参加したある音楽家のグループのように、打ち合わせも無くぶっつけ本番で、ミスだらけの上っ面なものでも、相手はわかりもせず、どの道喜んでくれるんだからそれでいい、という考え方もあるだろう。(2014年3月3日の記事参照)でも私は同意できない。高齢者に残された時間は少ない。その貴重な時間を私たちは共有するのである。その共有は人としての敬意を持ってなされるべきものではないか。無駄遣いでいい筈は無い。

 昨日の他のグループの活動から、新鮮に見えた良い面がたくさんあったし、また更に活動が生きてくると思われる留意点(赤文字表示)もいくつか気づいた。
 継続して係わることができそうなので、この幸運をお互いに生かして行けたらと思う。

<留意点として感じたこと>
 音域・・・上のD音、E音がたびたび出ていた。唱歌は基本的に児童・生徒世代の声域の高い時代に向けて書かれたものなので、声域が狭まりかつ低くなった高齢者に、原曲の調で歌わせるのは無理がある。仮に移調して最高音が上のCくらいまでに抑えれば、もっと歌えるはずだと思う。
 テンポ・・・日常的に歌っていない高齢者が歌う場合、1音出す(声帯を合わせる)のにも時間がかかる。発声練習では、16分音符でドレミファソファミレド、ではなく、2分音符でドーレードーとかドーミードー、などをじっくりゆっくりするのが適当と思う。「かえるの歌」をゆっくり歌うのもいい。 
 話す技術・・・声の大きさが不足していて耳の遠くなった高齢者へのケアが足りないと思う。(騒がしい子供には逆に小さめの声で、と言うが)また、早口で多くの言葉を言い過ぎる。繰り返しも多い。情報を整理して言葉数はできる限り少なく、ゆっくり、はっきり発音して1度で確実に伝えることに気を付けたい。


 感心したのは一つ一つの歌について、作られたり発表された年などの背景を実に詳しく調べてこられ、解説をつけて歌っていられること。また、いきなり与えられた「ボケます小唄」及び「ボケない小唄」と称する替え歌の歌詞を、お座敷小唄のメロディーに載せて歌うことが、練習も無く出来てしまったということ。
 これは施設自体が入居者対象を「介護を要せず自立した高齢者」に限っていること、そのような頭がかなり健康なご老人たちばかりが相手だからこそである。こういうことは、殆どが要介護の方々で占められている私の活動拠点施設ではできない。やってもその時間はお互いの思いがすれ違ってしまうことだろう。

 私自身、5年前に始めた当初、童謡・唱歌を今よりずっと多くして思い切り易しいプログラムにしていたつもりなのに、それでも施設側担当者に「貴女の選曲は難しいと思う」と言われた覚えがある。スタンダードな歌集に酒席で歌うような演歌を入れるべきか、あるいは母の好きな女学校で習った外国曲を入れるか否かで迷ったことも一つの経験としてある。何をもって難しい/易しいとするか、良く考えれば主観に左右されるということでもある。最後は私の「自分らしさ」に帰ってくる話であると割り切っている。

 その後、施設が住宅型から介護付老人ホームへと改変されたり、度々施設長も担当者も交代してそのたびに受け入れる入居者の要介護度・認知症の重症度も微妙に変化して来た。リクエスト曲も様々であるし、それに添って歌いながら・弾きながら・聴きながら、毎年のように選曲を見直してきているのが現実である。反応を見ながらやっていくと、自然にそうならざるを得ない。

 いずれにしろ、今回の新しいお誘いによって、「相手を良く知ってニーズに添う」 ということを再認識させられた。

2016年11月24日木曜日

付記あり・自治会活動保険<続き>

 日曜日、また町内会の役員会があった。



 10月の役員会で、自治会活動保険の契約について、「現状の傷害保険(死亡300万/入院日額2000円/通院日額1000円)を維持し、支払い保険料総額を現状の1割増以内に納めることを条件として賠償金額を現在額3億から増額を認める」と結論づけたことについて、私は敢えて異議を申し立てた。
 
 まずは、この件に関する討議自体の不備について
1.結論を急いだ・・・会計支出に係わる問題を、問題提起して同日に結論づ
  けるのは不適切。
2.情報不足・・・多くの役員が詳しくないテーマに、会長の得た情報のみで
  判断を迫られた。
3.討議手続き上の不備・・・異論を問うことも無く、採決もせず、段階を経て
  結論に至っていない。

 特に、情報不足ゆえに疑義、異議があっても発言する自信も無く、結論を急ごうとする議長(会長)の意図に添って、採決らしい採決も無く結論に流れていってしまったことを、議事録係として自分も反省している、というところからはじめ、この1ヶ月、自分なりに調べたり詳しい人たちのアドヴァイスも受けて、前回の結論への疑問が生じているので、一度全ての役員に聞いて貰いたい、と提起した。

 以下については、発言の許可を貰った上で、個人的異議として次のように話した。

1.賠償金額の増額には疑問である。

 ・確かに「権利能力無き社団の損害賠償はその構成員が担う」というルー
  ルは法律上存在し、町内会は法人格を持たない「権利能力無き社団」
  に該当し、役員個人が「その構成員」に当たる。調停委員に確認。
 ・ただし、それはあくまで町内会が組織として責任賠償を負う事態に陥っ
  た場合の話である。このような善意の一種奉仕団体で、行事として餅
  つき大会ただ一度しか行っていないような状況下、3億(市の保険と合
  わせれば5億だった)の賠償額でも不足するほど莫大な金額に値する
  ようなどんなエラーを犯せるものか?あまりにも飛躍したリスク想定。
 ・掛け金が僅かであるからと言うが、保険金に対する保険料の料率とは、
  保険業界が、過去何十年という実績に基づいて算出している。賠償金
  額の保険料率は0.0001、傷害保険の料率の100分の1である。これは
  つまり、殆ど支払う可能性が無い、ただの契約者の安心料、捨て金に
  過ぎない。保険料が安いからと増やしたところで全くの無駄。
 ・しかも、この増額の目的は何か?役員の個人資産のリスク回避では
  ないか。どんなに少額であっても、町内会計からの支出で支払うのは
  不適切ではないか?
 (保険屋のアドバイス:個人資産が心配なら、各自入っている損害保険の
  特約で個人賠償を”無制限”で設定して掛けておけば良い。それこそ自
  腹で、いくらでもないから。)

2.傷害保険をより充実させるべきである。
 ・「傷害保険は我々役員のためのものである」という会長の説明には重大
  な誤認がある。この保険の契約者はこの地区の町内会である以上、被
  保険者は住民全てであり、役員か非役員かは問題では無い。
 ・事故に際し傷害保険部分こそ、この保険契約の要の役割を担うことを見
  落としている。
 ・賠償とは違い、事故原因が何にあり誰の責任かを問わず、あくまで被
  害に対して支払われる。
 ・ある保険会社のモデルプランでは、損害賠償の1割の傷害死亡金額を
  設定している。これに当てはめると、賠償3億なら傷害死亡は3千万と
  なるが、実際は300万で10分の1に過ぎない。
  入通院も含めて、あまりにも住民のリスク軽視ではないだろうか。
 (保険屋のアドバイス:契約者の考え方次第で設定する。傷害の実際は、
  死亡や入院するような大きな事故はこの種の団体では殆ど無く、ちょっ
  とした怪我で通院というケースが殆どである。また、住民全員に365日
  の補償をつけるというより、行事のある1日だけ、とか、ある役割の人だ
  けにスポットで掛けることが傷害保険では可能なので考えてみては?)

3.(提案)判断を助ける、法律顧問のような人を設置してはどうか
  これは議長である会長が偏った考えを持った場合の会全体のリスクを
  思い知ったから。

 以上の内容で発言して、会長が「傷害は無くてもいいと言ったのはあくまで市の保険があるという前提のもとの話だ」「傷害を増やせっていうのはあるかもしれない」と言うところまでは聞いて、残念ながら退席しました。
 この日、実は近隣の市の音楽祭が開催中で、午後、合唱団の一員としてステージを抱えていたためです。本当はこの保険の問題が無ければ、すっぱり欠席していたんだけれどなぁ。

 午前中は町内一斉清掃だったし、充実してはいたけどすごく疲れた一日でした。
 本当は合唱の打ち上げ会にも参加するつもりだったんだけど、さすがにそれはキャンセルして、演奏を聴きに来てくれた家族の運転する車で真っ直ぐ帰路につきました。

 合唱の出来はイマイチだったし、何だか「楽しい」といえることは殆ど無かったような。
 骨折り損のくたびれ儲け、とまでは言わないけれどね。私らしい一日、ってことで。

<12月5日付記>
 結局、私が退席した後、この会では私の提起は「間違いである」とされ、却下となったとのことです。

 責任賠償保険を増やすのは役員だけを守るのでなく(役員は住民が回り持ちするのである以上)全住民のためでもあるから、という理由だそうです。だからそんなことになる可能性がいかに低いか、寧ろ傷害保険が薄いとどれだけ住民皆にとってリスクになるかっていうことをあれだけ言ったけど、結局わからないのね。
 私に言わせればそんなのは「屁理屈」ですが、皆が私の話を聞きいた上で討議した結果そういう判断をしたなら、致し方有りません。どうしようも無い人たちだと思いますが、これ以上言っても無駄だから放っておきます。
 






2016年10月27日木曜日

何なの、うちの町内会って・・・

だぁれも、何にも意見言わない。
のっぺらぼうみたいな、つかみ処の無い人ばっかりだぁ~~

7月に続いて今月の定例役員会も議事録作りの当番なんだけど、いい加減、嫌になってきた。

今月は、会長がちょっと理解に苦しむ提案をしてきた。
町内会として、年間9万なんぼの保険料を払って自治会活動保険に入っているんだけど、その中の責任賠償のところだけを、もっと増やしたいと言い出した。

周りの町内会はせいぜい1億円なんだけど、うちは3億入ってて、普通はこの種の契約としては限度額いっぱい掛けてあるのに、更に別立てにして5億にしたいって言うのね。
なんとなれば・その心は・・・
「訴訟になって損害賠償請求されて、もし足りなかったら我々役員が自腹切って払わねばならなくなる」からだそうな。

しかも、町内会活動中に事故があった時、自分たちを守る傷害保険部分は、現在の300万から減らしても構わないって言うの。保険料高いから、そんなものはそれぞれ個人で入ってるでしょ、だって。何言ってるの?日常普通に生活してたって事故は大小いくらでもある。一種ボランティアで働く中で何があるかわからないのはこっちです。

万一活動中に働き手に怪我されたら?死んだら?300万なんて吹けば飛ぶような金額でしょ?それをゼロにしてもいい?この会長ってどういうリーダーなんだ?ロイヤリティめっちゃ下がるよね。そんなんで役員にどの面下げて働いてくれって言えるのよ!ってだんだん議事録のための録音聴いていて腹が立ってきた。

自治体が自動的に加入してくれてる無料の保険も賠償額6000万/一人まで出るっていうのに。
3億6000万でもカバーできないほどの損害を与えるような大ポカなんて・・・どれだけ大博打やるつもりなのって思わないんだろうか?非現実的過ぎる。

事故は往々にしてある。だから町内会主催の催しでも例外では無い。だけど、それがどうして即・町内会の賠償責任云々に直結しちゃうんだろう?

事故っても、それが町内会として償わ無くちゃならなくなるまでに、どれだけの「もしも」「万一」があることか、想像してみればいい。確率的に限りなくゼロに近い。だから傷害と賠償とでは保険金額に対する保険料の割合が100倍違う。それだけ傷害は保険を使う率が高いってこと。保険会社は一番よく知ってるから。

たとえば、唯一のイベントである餅つき大会。これだけ綿密に計画を立てて許可取って、事故無く出来るよう知恵を絞っているのに、ガス爆発?そうしたら、誰の責任か、刑事でまず調べられて、原因調査されるよね。絶対、町内会じゃないはずだし、仮にそうだったとしても故意だなんて考えられないから、刑事罰だって過失で裁かれる。

もともとそんなつもりじゃ無いんだから失敗が有れば認めるし、めいっぱい償おうとするだろうし、そうしたら民事訴訟になる前に解決するよねどう考えたって。

それでも何だか被害者を追い詰めちゃって同じ住民同士なのに訴訟起こされて、裁判でも負けて、とうとう賠償金払わされることになった?
そこで3億6千万でもたりない事態?

いったい何をやったらそんなに請求されるの?列車への置き石くらいじゃないの?
いい加減にしてよ、って言いたい。

誰も何にも言わないで、会長の「自腹ではとても払えない金額になるから」って脅しみたいな決め台詞に一緒になっておびえて・・・なっさけなぁ~ぃ、私の頭が大噴火中。

町内会なんてね、そんな大層な賠償させられるような事業なんて何一つやってません!
そんなこと言ってると、来年から役員のなり手いなくなっても知らないから・・・









2016年10月5日水曜日

また、嫌みなこと言ってしまったかもしれない

 今日は久しぶりに合唱ネタである。

 私たちのコーラス・グループは、アマチュアの寄せ集めだ。だが、歌が好きで集まっているお楽しみ会からは一歩出て、芸術としての音楽表現に少しでも近づこうと、かなり真面目に取り組んでいる。この地域でのそうしたグループとしてはトップの実力だと思う。これには指揮者の持つ音楽的な質の高さが大きく左右する。伴奏者も申し分ない能力の持ち主である。

 それだけに最初は体操(ストレッチ)に始まり、発声と併せて新曲の場合はパート別の音取りまで1時間くらいかけて予備練習があり、その後、本命の指揮者が登場して2時間みっちり指導する。
 ちょっと複雑な曲は、必ず各パート別に音取りCDが用意されるので、カラオケ状態で自宅でも練習できる仕組みになっている。
 音が取れることは大前提で臨み、「どんな声でどう歌うか」を練習するのである。
 最近は要求する声音を出すために、指揮者が個人指導までしている。それだけ、要求するものが高いレベルにあるのだろう。ある意味、恵まれている。

 しかし、そんな中、音大卒のK君が2週に一度くらいの割でこの準備体操と発声指導を任されて出てくるのだけれど、その指導がまことにお粗末なのだ。
 一言で言えば、彼の演説が9割。同じ箇所をせいぜい2回歌って終わる。
 体操でも6割しゃべって4割身体を動かすだけかな?こちらはしゃべりながら動かせるから、少しはいいが、いちいちその動きはどんな意味があるか、毎回毎回同じ説明をする。

 この間のパート練習の時も、延々と歌のフレーズの解釈を聞かされ、実際に歌うことがほとんど無かったので、私はとうとうキレた。彼のその箇所の歌い方どうこう、どんなに素晴らしい講釈を聞いたって、それを聞けば上手になるのか?そんなものが練習か?

 先生はどうするか?確かに「こう歌え」と指示はする。曲の解釈に戻って説明する時もある。でもその後、繰り返し繰り返し、実際に求める歌い方が出来るまで何度でも歌わせるのだ。必ず、歌う、歌わせて聴いて、評価を加えて、定着するまでまた歌わせる。
 その時に十分に出来なかったところに挑戦するのがパート練習なのに、この坊や、何考えてるんだ?音大の大学院を4回も落っこちてるって噂の、実力も無い若造が。

 そんなの、「ムンテラ」ではないか?
 ムンテラ、おまじない。医者が口先で慰めを言って治せていないのに治したような気分になること。難病の告知の仕方に疑問を呈した医学生に、教授が「ムンテラの奢りは無いか?」と言ったという話が今なぜか蘇った。

 「引っ込め!」と言いたいのをこらえて、「Kさんの説明解釈は十分聴いたけど、もっと歌いたい」と言ってやった。団費から何か彼に指導料払ってるなら、それなりのものを要求する権利があると思う。こんなお粗末な「指導もどき」に、1円だって払えるか!そう思っている。

 さすがに直接そこまでは言えなかったが、役員にぶちまけてしまったのだ。当然ながら後味が良くない。どうして私ってこういう嫌な役回りになるのかな?


写真 
ソラナム(別名ツルハナナスorヤマホロシ)

 

 

2016年9月5日月曜日

出来ました、私だけの薔薇物語

 コーラスのお友達で同じアルト・パートの、恐らくは最高齢の方がいらっしゃいます。
 その方のお姉さま(93歳)が、治療の難しい癌に侵され、それでも放射線治療に挑んでいられると聞きました。
 
 お姉さまはガーデニングもお花も大好き、この春、妹さんが我が家のバラ見にいらしたことをとてもとても喜んでくださって、その時の写真をお見せしたら離さなくって、仕方がないから「あげないわよ!預けるだけだから」と言ってベッドの枕元に置いてきたのだそうです。

 その話を聞いて、にわかに「やる気」が出てしまって。
 2年前に作り始めて途中で挫折して放り出してあったアルバムをついに完成させました。
 
 薔薇育てを初めて10数年、あちこちに転居したのでその度に新しい品種に挑戦した結果、品種としては200種類近い数のバラと関わりました。そのうち、まともな写真が残っているもののみ集めて1品種に1ページずつ、品種の客観情報とともに自分で写した画像と思い出のコメントを付けて。まだこれから導入が決まっている品種もあわせると174品種です。これに表紙と、前書きと後書きを付けてできあがり。
 元本は台紙に入れて上下2巻のアルバムになりました。
 でも、それでは重いので、コピーしてポケットファイルに入れたものを、「お姉さまのお見舞いに」とプレゼントしました。

 下の写真↓は、何人か別のお友達にあげた、約半分の80ページ分に縮めたセレクト版の表紙です。



 中身はこんな感じです。

 




 そして、これは、後書きに使った写真。

 


 
 一口に「バラの写真集」と言っても期待以上だったようで、かなりビックリされました。

 以前の記事でも書きましたが、コーラスのお友達の息子さんからは「これは貴女の人生の卒論ですね。」と言われました。
 そうか、じゃあ、「卒業」しちゃったら次に私は何したらいいのかしら・・・? 
 もうこれ以上、することなくなっちゃう?なんて。

 いえいえ、まだこれから咲かせて、一番いい時のお顔で、写真を残さなきゃいけない白紙のページも残っています。
 少し気難しい子も迎える予定なので、消毒や剪定など、まじめに?もうしばらくはこのままバラ狂いを続けなくっちゃ、と思っています。

 でもでも、いい加減に昼間涼しくなってほしいですね。

 

2016年8月14日日曜日

映画になった「森山中教習所」を観て

驚いたなぁ~

あんなに地味な漫画を、映画化しようと考えた人たちの情熱には、つくづく感動する。
しかも、本当にやっちゃって、それがこんなに原作アニメの世界を忠実に実写で表現できたこと、

「あー、これ、良かったね」
「うん、良かった!」
という会話が交わされる作品に仕上がったということ・・・

みんな、みんな、驚きだ。

上映は1ヶ月程度で打ち切りになっちゃったけど、まあしょうがないね。
わはは!って笑える箇所は一つもない、せいぜい「クスっ」とする程度。

<以下は朝日新聞7月8日の評の書き出し部分> 
 ドラマチックな物語展開で見せる映画でも、青春の悔恨や勝利感で感動させる映画でもない。それぞれの人物が背負う、互いに異なる空気感と、その一瞬の交差が見せる化学反応を繊細にすくい取っていくことで、観客を引っ張り続ける映画だ。

洋アジサイ・ファントム

夫は原作の良さ・味わいが全然わかんなかったけど、映画のおかげでちょっとわかった。でも、
「これって、文学で言えば純文学だね。一般受けするはずないよな」と言う。

映画評に原作者の名前は全くでてこないけど、この漫画描いたのは私の甥っ子なのである。
ちょっと自慢。


2016年8月9日火曜日

わが人生の卒論?

今日の暑さは異常だった。

朝から何にもする気力が無くて、ぼーっとしてたら、ピンポ~ンが鳴って、宅急便でSweetsが届いた。お友達にあげた自作の薔薇アルバムのお礼のつもりらしい。
ちょっと目が覚める。

早速お礼の電話をしたら、息子さんが出てきて、お友達はそのアルバムを届けに●●●の病院まで出かけていると言う。そうだ、そもそもあのアルバムは、花好きの彼女のお姉さん(93歳)がガンで闘病中と聞いて、その方のお見舞いにと複製を作ってあげたのだった。
毎週日曜日に病院に行くと言っていたから、それまでは彼女ご自身で楽しんでくださればと思っていたのに、それまで待てなかったのか、この暑いのに電車であんなに遠くまで出かけて行ったとは・・・大丈夫かしら?




息子さんは、私たちのことを良く聞いていられるらしく、「僕も拝見しましたよ、薔薇の論文」「あれは皐月さんの卒論ですよね、僕そう思って読ませていただきました」なんて言う。
そして、写真は花の好きな人が撮ったからとてもいいし、添えた文章も引き込まれるとほめてくれた。最後に一言、
「下巻もお待ちしていますから」
ゲ、ゲ、ゲ、下巻!? うわぁぁぁぁ!

確かに彼女にあげたのは上巻。
そして、「下巻もいずれ行くので、お姉さんと取り合いっこしないでね」と、メモっておいたのも確か。
でもね。
上巻はもう完成していたのでプリントアウトすればいいだけだったんだけど、下巻の方は、まだ各品種ごとに使う写真の選定が済んでいるだけで、エッセイ部分は書き上げていないページが大量にある。つまりまだ編集中、複製しようにも原本が未完成なのだ。

わ、私だけの卒論だったのに、「ASAP」っていうデッドラインが出来てしまったってことなのだ。
今度こそ、パッチーン、と目が覚めた。

ていうわけで、今日は一日中、パソコンにかじりついていました。
まあ、イラつく議事録は完了しているし、それに比べたらはるかに幸せな作業ですけど。



2016年8月4日木曜日

我慢大会

 関東でも梅雨明け宣言がされて以来、ほんの数日だが30℃を超える日が訪れるようになった。朝から暑くて、庭仕事も軒下の鉢植えへの水やり程度で済ませている。梅雨冷えの頃とは違ってそんな時はウワっと藪蚊が寄って来て、一瞬でも油断ならないのには閉口する。 



 ところで・・・・愛犬コロは、未だに行方がわからない。
 この10年、いつもいたものが居なくなるって、こんなに寂しいものかと改めて思う。
 コロの情報を求めて、毎日サイトのチェックをして、心は県内を駆け巡っている感じだ。

 一方では町内の自治会で、猫の被害が甚大だとして今月も話題に上り、近くの公園沿いの道では車による轢死の話が語られていてドキドキする。コロもそんな1匹になったのかもしれない。
 皮肉なことにコロ行方不明のチラシを作っても私的な問題で町内会の回覧にはできないそうで、それでも町内会の役員なので議事録を作成せねばならない。なんとなく釈然としない。

 それだけではなく、会長は要点をレジメに整理もせずにダラダラと喋り、しかも採決の要となるキイ・ワードを言えない。せいぜい「これでいいですかねー?」である。返事のしようもないで一同沈黙していると、また聞いたような説明を延々としゃべる。

 「私からは以上ですがご質問は?」
 「他の方はこの件どう思われますか」
 「私はこの方向で行きたいと思いますが、異議のある方は?」
 「ご意見は出尽くしたとみて決をとってよろしいでしょうか?」
 「それではこれを結論とします」etc.etc.

 会議を前に進める言葉が無い。議長の役割がわかっていないみたいだ。

 さらに、携帯もインターネットも一切やらないで部長になった勘違い爺さんが一人。
 自分の愚痴と、あれ、これ、それの指示語ばかりが優先するから、呆気にとられ何言ってるか全然わからない。この、会長を敵対視するウジウジ爺さんと会長のやり取りだけで会議は長引き、半分くらいこの人たちの発言で、中身のない無駄な時間ばかり喰っている。2時間で終わるはずが前回は2時間40分かかった。

 時々、議事録のための録音を聴きながら叫んでいる。
「そんな話を今更蒸し返して、何になるのよ!」
「なんで、会長をフォローして流れを変える人がいないの?腰抜け男どもめ!」

 短気な私にとっては、ほとんど我慢大会なのである。
 正直言って心にも体にも悪い。
 次回は、記録当番じゃないからもっと言ってやるぞ!と思っている。



           写真:見事な穂になった、百日紅「淡桃清」

2016年7月29日金曜日

この子を探して!

この子を探しています


自宅は千葉県佐倉市。

いなくなってからもうすぐ1か月になろうとしていますが、全く痕跡がありません。

黒の柴犬純潔種、通称コロ。男の子で去勢済み、もう10歳です。

柴としては小柄で8~9キロかと思います。

一昨日、facebookに、松戸で保護された黒柴がいるとの情報があって、もしやと希望を持ったのですが、よくよく見ると違う犬でした。
誰とでもフレンドリーな子だから、連れて行かれちゃったのかしら・・・

コロ、帰って来て!みんな待ってるよ!



2016年7月5日火曜日

「やくもたつ」っていうバラって役に立つ?かな。

どうもバラ・カタログを見ていると自制心がマヒする私。
またまた、大好きな淡紫色の剣弁高芯咲きの写真にイチコロになった。

(あ、でもこれ、良く見ると高芯じゃなくて平咲きかもしれません。)
 

けど、変な名前。 やくもたつ???寺西菊雄さんの作出。

ネットで検索したら、「八雲立つ」とわかった。

  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

日本書紀に載っている「壮大な寿ぎの歌」の一節から名付けられた模様。
ま、新苗だからまだまだ咲くのは先の話です。それまでお楽しみに育てませう。


さあて、何年か前から探していた藤桃色のサルスベリなのだけど、
このたびとうとう本命を見つけました。



品種名は「ディア・パープル」と申します。
これまで探して探して、10本近い数の百日紅を買う羽目になりました。

近頃ヒマで?よく庭仕事をしている天敵が、
「うちってなんでこんなに百日紅が沢山植わってるの?」と聞くから、
「欲しい色じゃなかったから」って答えていましたが、今度こそ打ち止め、のはず。
これで違ったら、諦めます。そう洗顔(汗)、いや宣言しておきます。


そうして、最後は悲しいお話。
コロが・・・家から脱走したきり行方不明になってしまいました。
血統書付の黒柴、「宮の錦号」なんですよ。



庭で放し飼いにしているのですが、犬エリアのゲートを締めた「つもり」が、あとで見れば半開き状態。
宅急便が来たので急いで出たのが失敗でした。
その上、車庫の入口も締め切らずにお向かいさんと立ち話してたら、ヤツが目の前を通り抜けて行きました。7月1日の昼過ぎのこと。

これまでだったら、2時間もしないうちに帰って来ていたのですがねぇ・・・
徒歩、自転車、車で、ずいぶん探し回りましたが、5日もたっても全く消息不明なのです。
心配で始めの晩はよく眠れませんでした。もしかしたら、と、見に行ってみたりして。

警察、動物愛護センター、保健所の3か所に届けを出しています。
コロ、どうしちゃったの?
もう10歳、あの日は異常に暑かったから熱中症にでもなったのかも。

これまでも時々あるけど、出ていくときは「ダメ!」って言っても、帰った時には叱らないで迎えてあげるようにしているから、絶対に帰ってくるはずなのに・・・「どんなもんだい!」って顔で。

届けを出したとき、
「まだ3日しか経っていません、諦めずに探しましょうね!」
と、言ってくれた保健所の職員さんの言葉が身に沁みました。

娘に「お父さんもお母さんも、もうお歳だから、これから新しくは犬も猫も買うのやめようね」って引
導を渡されました。(😢)



2016年6月25日土曜日

音楽療法についての講演を聞いてきた

 水曜日、母校の心理学専攻卒業生が中心になって立ち上げ育ててきたカウンセリング研究会グループの、受講生向けワークショップに参加してきた。

(画像:ユリ・トライアンフェータ)

 実は私はこの研究会に所属した時点ですでにボランティアをいくつか掛け持ちしていたこともあって、この会の主目的であるカウンセラー養成に直結する講座にはほんの少ししか出席できず、従って厳密に言えばこうした講演を聞かせていただく資格すら満足に得られていないのだが、友人のちょっとした思い込みのおかげで?会費を払い、ずうずうしくも出て行っては毎回質問や感想を発言までさせていただいている。前回は前回で「母性という名の神話」がテーマだった。

 もういい加減にしゃしゃり出るのはやめようと思っていたのに、今回はテーマが「音楽療法」とのこと。しかも講師は高齢者へのそれを長年実践してこられたと聞いて、自分の懐メロの会の実践とも極めて近いのでお話を聞きたいと思った。

(画像:ニワナナカマド)

 1時間半の講義とワークとを終えての感想としては、いくつかは長年の実践に基づく貴重なポイントが示されていたのだが、失礼ながら、講義としての流れがよく見えず、少々まとまりに欠けるお話だったように思う。おっしゃりたいことは大体わかったけれど・・・

 勿論、大切な高齢者の時間を、共有するという形で「奪う」ことになる活動であるから、それが認定カウンセラーや認定音楽療法士など社会的に資格を認められた方であろうと私のように只のボランティアであろうと、真摯に向き合わなければいけない点は全く同じである。

  「あくまでも主役はこちら側ではなくクライアント」であるということ。そして「一つの音/音楽への感じ方は一人ひとり異なるものであり、反応も様々だ」ということ。さらに「結果(効果)を評価する明確な基準も尺度も存在しない」ということの重み、というか複雑さが、音楽療法という行為や療法士を定義づけたりオーソライズ出来なくしているという現状が良く分かった。

(画像:アジサイ・クララ)

 身体的、精神的に障がいのある人々・高齢者・旅立とうとしている人々にとって、音楽療法とは、医療なのか教育なのか福祉なのか、そも、一体何なのか。そこが日本においては国家資格として認められない大きな要因となっているという。改めて考えさせられた。

 「音楽は手段の一つであるし万能ではないということを、いつも肝に銘じています」と彼女は言う。
けれども心を和ませ開かせ通わせる手段として、非常に大きな力のあるツールであるということに関して、参加者からも次々に体験談が語られた。まだまだ研究半ばかもしれないが、手探りであっても、一人でも多くの有志がこうした活動に参加し、持てる力を注いでいってほしいと思う。

   「ここで歌わなかったら、二度と出会わない歌に出会えたよ」
   「昭和の歌と共に生きてまいりましたので」
   「どうして涙が出るかわからないけど涙が出るの」

 と、涙を流し、私の手を取って離そうとしないかたがた。
 無数の「有難う」を頂いてきた。
 そればかりでなく、

   「先生、私、ピアノが弾けて良かったと思えました。今、幸せです」
   「あんなに遠い目をして・・・何を思って歌っていられるのかと思うと」

 提供する私たちの胸にも、セッションの度に大きな感動を貰える。いや、提供とか供給とかいうよりも「共有」という言葉こそが相応しい。

 この活動に参加するまでは、重度の吃音のため友人はおろか教授からさえハラスメントを受け、音大を中退に追い込まれた閉じこもりの娘さんがいた。3年を経て、すっかり脱却してストレスなく話せるようになり、職を得て「卒業」していくまでになった。
 
 音楽のちから。

 万能ではないけれど、確実に何かをもたらすもの。


 

 

2016年6月16日木曜日

「紅不二」の苗を見つけてしまって

日陰に居てもぐったりするような日が二日ほどあって、「いよいよ夏到来」と覚悟したのに。
な~んだ、雨ばっかりじゃない。
なんと、梅雨入りしていたんだ・・・ボケてるの?わたし。

いえいえ、空梅雨だからいけないのよ。梅雨ってものがある事忘れちゃってたもの。


バラが一段落したら、追いかけるように透かしユリやアジサイが咲き始めて、
庭がまたにぎやか。



 そして、近くのホームセンターでは、ニガウリやキュウリやトマトの苗がひしめき合い、バラ苗
はバーゲン価格になって大分経つ。
 「もう買わないぞ」と思いつつ、やっぱり横目で品種名ラベルに目が行く。

 私の今年の誘惑は「紅不二」というオールド・ローズ。フラウ・カール・ドルシュキの枝替わりである。蝶が舞っているような華やかな花型の大輪でツルとしても使える。もとは真っ白だけど、赤の枝替わりは「艶姿(あですがた)」と呼ばれ、ローズピンクのものは「紅不二」と言う。
 似た感じの色の花を挙げるなら、この↓「マヌウ・メイアン」。でも形はもっと独特の派手さがある。



 この「艶姿」の見事なオベリスクが千葉市内のバラ園芸会社の看板替わりになっているのを見て、前から気になっている品種だった。当主の話を聞いたら、福島原発からわずか4キロの双葉バラ園(多分、原発事故がなければ、日本一のバラ園だったはず。)から貰った株だと知ったこともあり、しっかり名前が脳にインプットされていた。

 実は個人的好みの問題で、艶姿より紅不二(ドルシュキ・ルブラ)の方が好みだった。その紅不二が、新苗ではあるが3桁で買える?が~ん!である。
 一旦は素通りしたのだが、家に帰ってバラ図鑑で確認し、コロッと落ちた。だって、惚れてた品種に、二度と出会えるかわからないもの。
 オールド・ローズが、私のズボラ栽培にどこまで適応してくれるかはわからないけど。

(アジサイ:ウェディング・ブーケ2年目です↑)

 さて、次の日曜日は懐メロの例会だ。
 6、7、8月は「夏のうた」。34曲だったサイド・ブックの曲を40曲に増やし、また終戦記念日前後用に入れていた軍歌3曲に撤退願った。代わりに「禁じられた遊び」や「泉のほとり」などの外国曲で反戦の思いは歌えると思う。
 ただし、「サトウキビ畑」だけは残す。これを歌うと必ず皆涙するから微妙なんだけれど・・・

 花もさることながら、新たに増やした曲をお年寄りむきに音を低く下げて歌えるよう、移調した伴奏譜作りに追われていた。
 いや、正直に言うと、移調だけではない。もしもの時には自分でも弾けるよう、難易度を下げた楽譜であることも必須(汗)。何を隠そう私のピアノ技術なんてバイエルに毛が生えた程度なんだから。

 てわけで、良く考えたら雨で花いじりができなくて良かったのだ。

 楽しく、そしてしみじみ、今月も歌って過ごして来ようと思う。

 柏葉アジサイの白が華やかです。

 




 


2016年5月17日火曜日

雨の一日 作業は休んで、ただ薔薇を眺めて過ごす

 今日は予報通り、一日中雨。
 湿度は高いが気温は上がらず、肌寒いくらい。長袖T‐シャツをカフタンの下に重ね着しなければいられない日だった。
 
 それでも朝、イングリッシュ・ローズの「ア・シュロップシャイア・ラド」が、素晴らしくいい香りを漂わせていたのでご機嫌。大苗を買って3年目の株だ。だいぶ充実してきたのか、立派な花が咲いてくれるようになった。
 




 それから、この春の新顔さん、「プレザントリー」の可愛さ。
 ベルギー生まれの小輪のツル薔薇である。

 原種のような素朴な黄色の花で咲き始め、やがて淡い紫ピンクに色を変えていく。

 



 黄色と紫と言えば補色、淡いけれど色相としては反対色に当たるわけで、ちょっと思いがけない移り咲きの仕方である。だからこの名前なのかしら?プレザントリーとは「冗談」とか「洒落」というような意味合いの言葉だそうだが。

 ネットで検索したら「西洋のムタビリスと言われる」とあった。
 そもそも「ムタビリス」を知らなかったのでこれも調べてみたら、中国原産の移り咲きの薔薇のことだった。ムタビリスは薔薇百科に載っていたが、プレザントリーよりもっときつい色の花だった。

 複色が共存しても、淡い色同志のこの花で良かった!
 柔らかで素朴なブッシュができそうだ。来年以降が楽しみ。



 そんなことを思いながら、自分の選択を自画自賛して、何度も眺めて過ごした。
 明日天気になあれ!
 

2016年5月13日金曜日

首相の座に居座ってる"人"もどき者へ。

ハリー・ポッターのヴェルデモートのように、その名を口にするのもおぞましい「あれ」に言いたい。
大学の恩師・加藤節名誉教授にここまで言われてどうよ?

天木直人さんと言う方のブログ「日本一厳しく的確な安倍批判をみつけた」を読んだ。

https://t.co/xXGLfwjc1q

そこで引用している加藤節(政治思想史)成蹊大名誉教授の文には溜飲が下がる思いがする。
その無知と無恥、二つのムチ。まさに言いえて妙だ。
歴代の首相で出身校に泥を塗った最たる例となった気分はどうだろうな。
いや、無恥だから関係ないか。蛙の面に水なんだろう。

全文記事になっているという件の雑誌フライデーを買いに行くべきかしら?

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庭のバラが少しずつ咲き始めている。

裏の食堂の窓の外に植えたつるバラ「羽衣」が咲いていた。
ろくにケアしてあげなかったのに、こんなにいい顔で・・・



見返りを求めず
春になれば必ず花をつける
決して裏切らない
だから花が好き。


2016年5月7日土曜日

節目:パラレルに進行してきた私のボランティア




私のボランティアは、大きくわけて3つ。
 ここでテーマとして書いている「懐メロ=音楽」以外に、「日本語」と「難病」がある。
 もともとの職業が教師だったから、懐メロの会と日本語は根っこで同類なのだけれど、最後の難病の患者会運営ボランティアは、自分も家族も病気とは無関係だが医者の先輩の依頼で偶然関わるようになったものだった。
 郷里・浜松で準備会を立ち上げ、平成5年に全県組織として設立、2年後には東京に本部のある全国組織の支部へと持っていった。その後東京に転居したため、支部の事務局長と本部理事も兼任、一時は広報担当として機関紙の編集やオフィシャル・サイトの責任者も務めた。
 父が倒れ、認知症の母と二人を引き取ることになってやむなく全てを他の方に交代して頂くことになったのだが、せめて一つはと続けてきたのがそのサイトへの花写真の投稿である。余りに深刻な難病のサイトだったので、ホッとする場所をと思って作ったメニューだった。
 このたび、サイトのリニューアルに伴ってそのメニューはリストラとなるそうだ。
 振り返ってみると最初の投稿は2006年の5月だった。
 今月、最終回として送った投稿を、ここに転記しておく。
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5月の花だより


ようやく春らしいぽかぽか陽気が訪れて、一気に草木の芽吹きが進み、町のあちこちで花が溢れています。我が家では早くも色づいてきたサクランボをめぐって、鳥たちの声が飛び交ってそれは賑やかです。


<一重のモッコウバラ>
 モッコウバラと言うと黄色の八重咲き種が一般的に知られていますが、今年は一重の方も咲きました。
 しべが可愛くて思わず笑顔になりました。





 <クレマチス~阿吹~> 少し青みのかかった淡いピンクの大輪花をたくさん付けます。
 
この春の新種として売り出されたクレマチスです。


<薔薇・東雲(しののめ)>
 アプリコットオレンジの一重の花が房になって咲きます。
 その名の通り、日の出前に茜色に染まる雲の色です。
 今日一日がいい日でありますように。
 そして明日は、もっといい日になりますよ
うにとの、祈りのこもった色に思えます。




 20065月以来お付き合いいただきましたが、本サイトのリニューアルにあたり、「四季の花便り」は今回が最終となりました。 長きに渡り私の拙い写真とおしゃべりを読んでいただき、有難うございました。
 病気であるか否かにかかわらず、日々の些細な
物事にも心を込めて接し、時を愛しむ気持ちだけは持ち続けていたいものと思います。
 花を「美しいな」と思われた時、私のこと
も思い出していただけたら嬉しいです。
                           (サイトのコピー終わり)
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 難病にかかわり始めてからそんなに過ぎたとは。そしてこちらのサイトへの投稿はちょうど先月で10年経ったところだった。
 懐メロ5年、花写真10年、なんだか本当に「節目」という言葉がぴったりくる年になった。私自身もどこかをリニューアルできるといいんだけれど・・・

                     (Yahooブログ「シニアと歌う懐メロの集い」より転記)

2016年4月19日火曜日

春は春とて・・・

 今日も忙しかった。
 何と言っても、植物が目覚め始めるとほぼ同時に害虫も動き出す。施肥・消毒・伸びすぎたグランドカバープランツの整理、やり残した誘引・剪定の駆け込み作業・・・・etc.etc.

 朝ごはんを忘れて1時2時、食べた後なら4時ぐらいまでぶっ続けで外にいると、顔はザラザラ、塩を吹いてしょっぱいし、脚がなんだか持ち上がらなくなっていたりする。
 うわ、緊急事態!と水筒に入れたドクター・水素水を飲む。疲れた。

        :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 母の骨をお墓に収める日取りが決まったのでホッとした。
 一昨日、懐メロボランティアの例会だったので、ホームの入居者仲間だった皆さんへの報告とお礼を述べさせていただいたのだが、階も食堂も別だし、完全に個室だしで、未明に突然起きた母の死に全く気づいていなかったと愕然とし、涙を浮かべて別れを悲しんでくださる方々が何人もいた。

 認知症のため自分の状況も理解できない母だったのに、そんな風に友人として普通にお付き合いをしていただいていたのだと、胸が熱くなった。プロの職員さんたちだけでなく、同じ入居者として、何度でも母の同じ質問に答え、自室がわからなくなったら教え案内し、自然態で間違いにも大らかに接して頂いたからこそ、母は5年半もの期間をホームで安定して暮らせたのだと思う。何より、生きていく仲間として、母に敬意をもって接して頂いた。心から、本当に心からの感謝の思いを伝えずにはいられなかった。

 皆さん、本当にありがとうございました。
 母・サチと共に御礼申し上げます。


 
 写真 : 桜「思い川」
       (我が家の6本の桜のうちで一番のお気に入り)
 

2016年4月5日火曜日

亡き母のこと~認知症と「私流」に闘いながら

 何の前触れも無く、母が逝った

 認知症は通常の老人ボケと区別しにくいので、いつから始まったのかはっきりしないのだが、母の場合、発症してから20年近く経っていると思う。家族ばかりではなく多くの人のお世話になりながらの生活だったが、最後は寝付くことも無くアッと言う間、ヘルパーさんの目の前で倒れてそのままになった。

 これで父母二人とも親を見送ったわけなのだが、できるだけのことをしたつもりでも悔いが残らないと言ったら嘘になる。振り返って、一番難しいと思ったのは、親が矜持を保とうと二人だけで頑張るのに対して「もうこれ以上年寄りだけでは無理、子・孫の意見に従いなさい」とのオーバー・ルールのコールをいつどのように出すべきか、その見極めの問題だった。
 当然のことながら、「あれで良かったのだろうか?」と、問い続けている。時が癒してくれるのを待つのみである。
 

    *   *   *   *   *   *   

 周辺症状に悩まされた中等期

 母と言う人は、昔は「知りたがり屋のウサギのピーター」だった。
 干支もウサギなのは偶然だろうが、何でもかんでも知りたがり、自分が承知していないことがあるのを極端に嫌った。逆に言うと、あけっぴろげで、包み隠さないことがベストだという思い込みが強く、時と場合により正直であることが残酷だという事実には無頓着、知っていても言わないこと、知らないふりをすることで他人の気持ちを守ってあげる、というような配慮には欠ける人だった。
 言わば、幾つになっても子供のようにストレートな人だった。本人に悪気はないのだろうが、一人娘の私は母の言葉に結構傷ついたものだ。

 そんな母がアルツハイマーになり、母と長年連れ添った結果、嘘も芝居もできなく躾けられてしまった父・皐月誠三との確執は、おそらく大変なものであったことだろう。忘れる、という中核症状よりも、夜昼が逆になって生活時間がずれることとか自分でしまったものを他人に盗られたと思い込んだり、被害妄想を初めとした周辺症状に本当に苦労した。知っておいてほしい基本的な家族の最新情報を箇条書きにして置いたら、「これは人を見下した告知文で無礼だ」と怒り出し、暴力さえ使われた。それでもそんな自分になってしまっているという現実が全くわからない。だからアルツハイマー型認知症との診断が下された当時は、連れ添う父の方がうつ病になったくらいである。そして、妻の気持ちを尊重してやりたいという父の意思を尊重した結果、結局は母より頭も体も健康だった父が先に逝った。私たちの懸念そのままだった。

 振り返ると、初期~中等期が一番やっかいだった。母は、良く「初耳だ」「そんな大事なことを私に無断で」とすぐにつむじを曲げ、周囲が「結託して作り話をしている」と被害妄想を抱いた。だから大事なことは録音したり写真に撮った。不思議なことに母の場合は、「録音してある」と言うとあっさり主張を引っ込めた。でも5分もせずに忘れたけれど。
 一番醜悪だと思ったのは、現実を説かれ少し強くたしなめられれば、「ああ、わかった。要するに私に早く死ねってことね!」と拗ねてしまうことだ。小心な父にとっては、これが最も堪えるセリフだと知っていて、これを言う。それもその筈、母にとってそれが我を通すための長年の武器でもあった。そういう姑息な「手」に限って、なかなか忘れてくれなかった。
 傍で見ている私の方が腹に据えかねて、何度母と衝突したか知れないが、そんな時も「僕が謝るから許してやってくれ」という父には負けた。「ここまで妻をわがままにしたのは貴方の責任だ」と父を責めたこともあったが、今は気の毒なことをしたと後悔している。
 とにもかくにも、独善家の母が認知症になったことで、家族は疲れ切っていたのだ。
 争いの嫌いな父のためと思ってこちらが折れて仕切り直しするのが常だった。実際、抗いの勢いでぶつけ合ってしまった心無い言葉の暴力によって、傷つくのは(記憶のある)自分ばかり。母の方は一時的に激高しても5分もしないうちに奇麗に忘れてしまっている。
 この時期、母が病んだことで壊れていくのは、むしろ私の方だった。


 納得させるキーワードと画像で作る自分史アルバム

 それでも88歳で買い物中に倒れるまで、父は母の望むままに郷里の自宅で二人きりの生活を維持していた。その間の父の驚くべき寛容と忍耐には頭が下がる。深い愛情なしにはあり得なかったと思う。「どんなになっても、僕のパートナーだからね」という父の言葉が今も耳に残っている。
 どんなに認知症であっても、母に忘れて欲しくなかったのは、父・誠三のこの献身的な愛と、その結果もたらされた母の幸せな人生の軌跡である。
 また、もともとは記憶力の良かった母の立場になってみれば、何も思い出せないことによる悲しみ、苦しみ、自分はどうなるのかという不安があるに違いないとも思った。

 しかし、論理を積み上げる力が皆無になった母に、口頭で「AだからBだ」と幾ら説明しても無駄であった。母に残っているのは理屈ではなく感情だけ。事実で「説得」するのではなく、どんな嘘で脚色した話でも、本人を「納得」させればそれでOKなのだと専門家は言う。
 そこで、とめどなくプライベイトな、しかし母にとって印象的な「A1、A2、A3・・・」を、幸せのハイライトとして解説付きの写真で並べ、「テ・デウム」と題する母の自分史アルバムにしてみようと思い立った。



 「楽しかった」「嬉しかった」「(子や孫が)可愛かった」という、佳き思い出の断片を、このアルバムにより繰り返しなぞっていくうちに、母の心の中に「自分は幸せであった」という総論(=B)が湧き上がりやがて心の奥に根付くこと、そして、亡き父と天上の御父への感謝へと通じていくことにより、日常の母の不安が少しでも軽くなることを願ったのである。

 長年住み慣れた家で幼い娘(私)を育てた時代から、孫たちと海辺の別荘で釣りや貝拾いして過ごした時代、そして老いて同居生活に入り父を見送って今日に至っている、母の人生のアウトラインがなぞれるように、古い写真を入れ、解説をつけて心を込めて編集した。
 その最後の2ページはこんな風に締めくくられている。


  サチさんはこのごろ、涙もろくなりましたね。
  「もう生きていなくてもいいのに」と、すぐに口にされるのが気になります。

  でも、思い出しましょう、
  「野の花、空の鳥を見よ」「思い煩うな」と、イエス様がおっしゃったことを。

  人が長年 生きてきて、悔いが無いと言ったら、嘘になります。
  でも、お互いが良かれと願って、思いやり、精一杯生きた結果なら、
  神様にはきっと許していただけるのではないかしら?

  すべてを、「思し召し」と、受け容れましょう。
  そして、自分が生かされている限り、投げやりにならず、前を向いて、
  一日一日を歩いていきましょうよ。
  この命に感謝して、「テ・デウム!(主を讃えん)」です。

  だって、誠三さんに、生涯かけて愛され、護られてきたサチであり、華ですもの。
  感謝して生きていくことこそが、神様と誠三さんへの恩返しですよ。

  サチさん、
  明日はきっと 今日よりいい日。
  そう信じて、天からお迎えが来るまであと少し、頑張ってみましょうね!

  あなたは決して独りぼっちじゃありません。
  天から見守る方がおられます。
  私たち家族も、地上にいてみんなであなたを見守っていますよ。

  だから、一緒に唱えましょう。
  感謝とともに、「テ・デウム!」と・・・


      *   *   *   *   *   *  

 ~認知症になっても、常に説明を求め、わかろうと自己主張し続けた母に、敬意をこめて~


<16年4月6日追記>

  一人の認知症のケアには、複数の正常な方々による冷静な対応が必須です。 
  しかし、当人の性格やものの考え方、人生のバックグラウンドを知らない第3者は、問題が起きた時、どうしても一般的な対応をするしか無いのに対して、その人を知り尽くしている家族には、本人特有の落し処や納得させるキイ・ワードがわかっているという利点があります。
 このアルバムにおいては、そんな言葉を沢山盛り込みました。母が夕方症候群になったり、夜中に施設内を徘徊して「家に帰る」と言い出した時などは、ヘルパーさんが自室に案内し、このアルバムを開いて一緒に読むことによって落ち着かせることができたそうで、その意味でも大いに活用して頂きました。

 老い方も介護の形態も様々ですので、他にもいろいろな知恵があることでしょうが、私の場合、たった一人で24時間母と向き合い、我慢大会のように同じ問答に晒されながら在宅介護を続けるという生活の中では、身も心も追い詰められてしまい、このような試みをする余裕は決して生まれてこなかったでしょう。 
 このアルバムは、介護の中でも家族以外の行うことが出来るものは他人にお任せし、娘の私でなければ出来ないことのみを追求して行った時、初めて浮かんだアイデア・ツールでした。 

 私が「母思いの優しい娘」でいられたのは、介護看護の多くのプロの助っ人さんたちのお陰に他なりません。 日頃施設で母に接してお世話くださった皆様への心からの感謝を。 そして私と同じような立場にいらっしゃる方に、認知症介護を一人で抱え込まないで、と。家族だからできることをこそ、精一杯してあげるよう、エネルギーを取っておいてください、と申し上げたいと思います。 








2016年3月18日金曜日

いいことには違いないのだろうけれど

 Twitterで流れてきた犯罪被害者の子供たちの奨学金を、返済型ではなく給付型にすることが決定したという情報。

 進歩ではあろうと思うがはぁー今更なのか?しかも何で犯罪被害者の子だけの話?って思う。
 奨学金なんて、どんな普通の子供でも、給付型にして当然ではないか。教育の機会均等を認めた基本的人権にもかかわると思う。

 もっと気持ちが悪いのはその財源だ。
 振り込め詐欺被害者に返せなかったお金を回すと言うのだから。
 被害者同志で相互扶助???

 つくづくこの国って精神が貧しいし、豊かさがあるとしても腐っていると思う。
 それは、豊かさの使い方が間違っているから。

 

2016年2月23日火曜日

障害者差別禁止法について考える

 先週の土曜日に、この4月から施行されるという「障害者差別禁止法」(正式名ではないけれど)について弁護士さんの講義によって学び、実際に障害を持つ子供さんを公立の学校で歩ばせてきた親御さんや、障害者のための就労施設の運営者の方、そして役所の担当者のリレートークを聞く機会を得た。

 それぞれ短い時間だったが、とても感動的な実践のお話を聞くことができた。
条文化された法律というものはいちいち言葉の定義づけから始まるからわかりにくい。しかし、人をハンディキャップがあることだけを理由に差別してはならない、という法の精神そのものは、非常にシンプルでわかりやすいものであるはずだと私は思う。それは、法律だから間違っているのではなく人としての道に反するからしてはならないのだ。

人としての道とは何か?それは社会的な生き物として互いに助け合いながら生きる存在であるということ、どんな個人も一人では生きられず、利益は分かち合い不完全な部分を補い合って生きていく社会的な動物として、人間の本質から外れない生き方であろう。法の作られた根拠となるものは心であり、それはごくごくシンプルな、ほとんど理屈もいらないほど容易に受け入れられ得る、本能に近いものであると思う。

 ところで、「障害だけを理由に、合理的根拠なく不当に差別してはならない…」この「合理的根拠」という言葉に、私はどうも違和感があって引っかかるのだ。
何が「合理的」で何が「不当」か。例えば、ラッシュで皆が急いでいる時に、バスや電車など公共の交通機関の乗り降りに時間をかけることはどうしても嫌がられる。公共の利を優先して「障害者はラッシュ時には乗るな」と大っぴらに言ったら罰せられるだろうが、現実には暗黙の内に私たちは(視線や言葉などの)態度で障害者を排除していることに、どのくらいの人が気づいているのか。「妊婦って障害者だっけ?」とあからさまに優先席の妊婦さんにマタハラ発言をした大学生らがネットで話題になったが、10歳くらいの娘さんの逆鱗以前にどうして周りの大人たちが一斉にその大学生に非難の目や言葉を浴びせなかったのか。私はそのことにショックを覚える。何とカサカサした世の中になってしまったのだろう。高等教育を受けていても人として全く育っていない人間ばかりが日本にはあふれているのである。こんな社会で法律が出来たって、一体実効性は望めるものなのか?と不安を抱くのは私だけなのだろうか。

 私は自分の親からあまり良かったと思う訓示を受けていないのだが、一つだけ良い記憶として残っている言葉がある。それは、障害者を見かけると母から「気が付かないふりをしなさい」と言われたこと。しつこく言われた「思いやりを持て」という言葉は独善家の彼女の口から出ても全く空しく響いたけれど、この「気が付かないふりを」という言葉はとても具体的で意味深な指導だったと思う。この言葉は好奇の視線に晒される方たちへの思いやりのあり方を教えてくれたし、長じてからは寧ろ手助けが必要では?自分が役に立てることはないか?と、それとなく観察する方向に育っていったから。

 私はこれまでボランティアとして自分の長所を生かすことにとても熱心に取り組んできた。その中で、ある時は難病患者さんが医療制度と福祉制度両方の狭間でたらい回しされたり、役所の担当者の心無い言葉に苦しむ姿を尋常でない数見たし、来日した外国人の子供たち対象に日本語を始めとした適応教育指導に携わりつつ、日本の教師も親も学校も自治体も政府も・・・大人たちの意識の閉鎖性、非国際性、視野の狭さに愕然とし失望の連続だったことを思い出す。
障害者差別禁止と言うが、合理的で正当な処遇かを個々の事例ごとに判断する時、本当に障害者個人の権利が公共の利益に駆逐されてしまう可能性はないのか?それを決める司法を信じることにためらいを感じてしまう。むしろ、法律に定めなければ弱者が保護されないような現実の人間社会であることに嘆きさえ覚える。

 「法律には法律の役割があるんです」と、かの弁護士さんは言う。憲法さえも無視され蹂躙されている昨今、この動物的で次元の低い政府のもと、どこまで実効ある運用がなされるか、よくよく見守っていかなければと思う。

2016年2月5日金曜日

コーラスグループ発足20周年記念

 1月31日(日)、所属するコーラスグループの結成から二十年ということで、記念公演が催された。
 私としては途中で指揮者の姿勢に疑問を感じて一旦離脱したのだけれど、やはり歌うことが好き。あちこち乗り換える先を探しては見たのだけれど、結局、ここ以外には「一緒に歌っていきたい」「自分もこのハーモニーに加わりたい」と思えるグループが見つけられなかった。
 と、言うわけで結局復帰した。口実にしていた母の病気が治ったってことにして・・・。

 アマチュアの強み?か、今回も本番の出来は非常に良かった。録音を聞くのが楽しみ。
 そうして、応援してくれた、夫を始めとする家族に感謝である。

 打ち上げの時、先生に言われた。「兎に角、出られてよかったですね。心配したんですよ、大事な人が出られなくなるのかなって」先生が変な発言したせいですとは言えないから、私はモゾモゾ・・・('◇')ゞ
 聴きに来てくれた知り合いのさる有名人(作詞家)にチラッと自分の本心の経緯を明かしたら「流石、華さんだ」と言われた。「芸術の世界にいると、簡単に政治の流れに左右されやすいんです。とにかくお金に困るものですからね。」「彼も苦労していると思う」そして、団員の側が寧ろ引っ張って指揮者を音楽バカにしないよう監視していきましょうよ、という意味のことを言われた。
 ううむ。私は私で、彼は流石だなあと思った。

 素晴らしい詩を素晴らしい曲に載せて歌う時、単に「らしく見せる/聴かせる」だけではなく、心からの表現でありたい。私はたとえアマチュアでも、そんな歌い手をめざそうと思うのだ。